福島県天栄村を舞台にした米作りの物語、映画『天に栄える村』を観た。物語は3.11を前後して展開、話を大仰に表現してみせこともなく、むしろ村人の揺れ動く心境と真摯に取り組む姿を淡々と、でもていねいに描く、とても良心的なものだった。映画のあとはその取り組みを支援する役場の担当者の話があり、話を聞いているうちに会場で販売されていた「天栄米」まで購入する気になった。配られたおにぎりは甘みさえあり実に豊かな味だった。日本一を決める食味コンクールでこれで6年連続の金賞を獲得しているそうだ。
一向に収束される気配がない福島原発事故は、大勢の人の心や生活を混乱させたままだ。政権を取り戻した自民党は原発再稼働へと舵を切るつもりのようで、ますます庶民を混迷の底へと陥れる勢いだ。なのに、この映画に登場する天栄米栽培研究会の取り組みに迷いはなかった。作付けを中止した自治体もある中、線量が際立って高かった天栄村なのに、いち早く、諦めずに米を作るのだと決めた。大きな勇気と決意が必要だったろうが、思えばその決断は、人としてとても自然で、誠実で、普通に当たり前の、まさに庶民が生きるとはこういうことなんだと示しているような気がした。
農家が米を作らなくなったらおしまいだ、との思いで再び立ち上がった村人たちは、事故以前のように放射性セシウムに汚されていない米を作るために試行錯誤しながら様々な取り組みを展開、収穫後はすべてを検査、国が決めた暫定的な安全基準どころか、10ベクレル以下の検知ゼロを達成し続けている。
どうやら人の価値とは災難に遭遇するような緊急事態でこそ問われ、発揮されるようだ。7、8年ほども前から日本一おいしい米を作ろうと取り組んだ天栄村の姿勢を、放射能さえ変えることはできなかった。中には、幼子を連れて実家の兵庫に一避難していた農家の主婦が天栄村に戻り、さりげなく答えた。「わたしはもう福島の人間。ここで少しでも安全を心がけ暮らしていきます」。福島に留まることを賞賛するという意味でなく、自らの意志で選び取る態度に感銘を受けた。しかも肩に力を感じさせない、それが当然でしょうとでもいうようなおおらかでやさしい力にあふれていた。実際の不安はこんな他人にはわかろうはずもないけれど、もしも同じ境遇に置かれたなら、自分もそうしたいと思えるほどにそれは美しい決意だった。
映画のあとの担当者の話もまた、とても自然でさりげなく、しかも力強かった。収穫した全量を検査しつづける労力とはいったいどれほどのものなのか想像もつかないけれど、「すべてはデータで裏付ける。そうすれば消費者に信頼してもらえるかもしれない」との言葉には迫力さえあった。こうまで言われてそっぽを向いていたのでは、同じ日本人としてあまりに情けないだろう。さらに映画の農家は言った。「原発や放射能は日本全体の問題なのに、福島だけに責任を負わせているのかと思いたくもなった」。そんなとき福島では言うそうだ。「さすけねー」。意味は、苦にしない。
福島の子どもたちとの保養キャンプを開こうと思いついたのは、もしかすると唐突なことではなかったようだ。原発事故とその後の状況は日本のあらゆる人の心を揺さぶり、その裡に抱えている種を目覚めさせたんだろう。この凡夫も種のひとつやふたつを持っていたようで、その芽のひとつがキャンプとなって現れた。そんな気がする。災難こそがきっと人を目覚めさせるのだ。さすけねー、かぁ。いい響きだ。力が湧いてくる。
http://image-fukushima.com/
2013年12月16日
2013年12月12日
背中の未来
「狭いながらも楽しい我が家」ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ支援マーケット。
https://www.facebook.com/events/221858771320334/?fref=tck
去年の冬のキャンプで子どもたちに昔遊びを教えてくれた瑞江さんが、自宅を開放してガレージセールを開き、収益金をFKキッズキャンプに寄付してくれます。そんなのどこでもやってるんじゃない?と思うでしょ? とんでもありません。放射能に悩まされる子どもたちを思う気持ちが強くても、幼い我が子を育てる若いおかあさんにとって自由に行動できる時間や場を確保することがどんなに大変か、ちょっと想像すればだれにもすぐにわかります。そんな暮らしの中でのこの、「狭いながらも楽しい我が家」ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ支援マーケットです。所狭しと並んだ品々と、そこにあるぬくもりの輪を楽しみたい方、ぜひ一度足を運んでみてください。ジジイのぼくは気恥ずかしくて、女性の輪の中にはとてもじゃありませんが顔を出せない…(苦笑)。
二年目を迎えたFKキッズ交流キャンプに参加する福島や石川の子どもたちの仲が深まるのはもちろんですが、実はそれ以上に応援するおとなの輪がまるで自然現象のように静かに広がり深まっています。「ねえジャイアン、福島キッズとキャンプしない?」と投げかけたひと言は池に投げた小さな小石でしかありませんが、そこから広がる波紋の美しさと言ったら、その輪の中にいてこそ感じられるもの。外から見ているだけでは、世の中の事象は単なる現象でしかなく、理解したつもりでもすぐに消えて忘れ去ってしまいます。生きるとは事象に飛び込んで行動することでもあるのだと、行動してはじめて実感しています。
3.11以降、福島ばかりか東北関東一円の至る所で高い線量の放射線が観測されています。報道されないだけで、事態は一向に改善されていないことをだれもが不安に感じているでしょう。オリンピックだなんだと喜んでばかりでは、こんなになってしまった日本の庶民としてどこかに大きな欠陥があると言うしかありません。福島原発事故の原因がなにひとつ解明されないままに、再稼働への動きが鮮明になる雲行きです。またいつ起こらないとも限らない原発事故(人為的な事件かもしれませんが)の責任は、結局だれひとり取れないことが、あるいは取ろうとしないことが明確になりました。
キャンプは子どもたちを思い開いています。その子どもたちは海や森のフィールドを飛び跳ねながら、実は共に生活するおとなたちを無意識にでも注意深く観察しています。応援することが一方的な押しつけになってはいないか、教え導くなどと傲慢になっていないか、気分だけで行動し感情を露にしていないか、などと、個人的に気をつけたいことが山ほどありますが、それらも子どもたちと真剣に過ごすキャンプがあればこそ感じることです。人間関係とは、お互い様のようです(まことにジジイらしいことを感じるようになりました、笑)。未来とは、人と人が交わりふれあう間(あわい)にすでに存在しているのかもしれません。広がる波紋の中で揺れながら、その形がうっすらと見えている気がするのです。
おとなは、その生き様を子らに背中で見せる。古くさいと言われようが、年を取りながらますますそう感じています。背中に未来を背負いましょう。
2013年11月17日
座るひととき
日曜の今日はチェックしておいた催しがいくつか重なっていたが、結局そのどれにも行かなかった。政治の動きなどにますます嫌気が差すこの頃だからぱぁっと気晴らしに出かければいいものを、けれど片時のイベントなどにはさして興味もわかないし、講演など聞いてもその後に行動しないならなんの意味があるか、などとぐだぐだしながら朝刊をめくるうちに大乗寺の座禅会が目に留った。三十代の頃だからかれこれ二十年あまりも前になる。日曜座禅会だけでなく修行僧にまぎれこんで日々の早朝の祈りのひとときに加わったこともある。なぜ人は座るのだろうか。瞑想のひとときに何か求めるものがあるのだろうか。三十人あまりの人が、しかも半分以上は若者たちが占め、互いに言葉を交わすこともなく二時間ほどを共にした。
大乗寺は、永平寺三代目住職の徹通義介禅師が開いた曹洞宗の古刹。国指定の重文でもある。境内に一歩踏み込むだけでいきなり場の気が変わるような気がする。重厚な山門にはいつも圧倒されるが、個人的に気に入っているのは、法堂の側面のどこか古風な家の軒下を思わせる庶民的な雰囲気だ。あったかな昼下がりなど椅子に座ってする読書の時間が好きだった。
何人もの人と座るひとときは、家の小部屋のひとりの静座とはやはり大きなちがいがある。ピンと張りつめた冷たい空気、合図の鐘の音が波打つように近づいてくる不思議な感覚、目的はそれぞれだろうにどこか通じるものがある参禅者。ところでなぜ座る気になったものか、座り出してもわからないままだった。浮かんでは消えて行く雑念というものもほとんど感じなかった。まったく面白みのない人間になってしまったかのように、ただぼーっと座っているばかりだった。
座禅後の法話は、肌黒い修行僧だった。スリランカから来日してまだ二カ月だという。たどたどしい日本語ながら、両国の仏教のちがいなどを話してくださった。中でも興味深かったのは、スリランカは大戦後、日本に賠償金を請求しなかったという話だった。その時のリーダーが世界に向けて宣言した言葉は、「憎しみは憎しみによって止まず、ただ愛によってのみ止む」。なんということか。国を荒らされ、大勢の犠牲者を出しただろうに、憎しみの過去を愛に変えてしまった人々がいた。どんな状況だったものか想像すらかなわないけれど、この言葉が持つ力なら凡夫にもずしんと堪えた。座禅ではなく、この話に出会いに来たのかもしれない。無為に過ぎて行く日常、徐々に精気が失せて行くのを感じる日々だったが、なんだか救われた気がした。愛とはほど遠い人間だとしても、憎しみや妬みや恨みなど、ひとつでもふたつでも脱ぎ捨てることができるのかもしれない。それらは己が頑固に所有するものではないようだ。この世に飛び交う雑念がたまたまこの身に宿っているにすぎないのかもしれない。
2013年11月6日
鴻の里 #016 棚田の跡
鴻さんたちが裏の田んぼと呼んでいる棚田は遠く日本海を見渡して広がり、輝
く陽光が届かない日でもため息が出るばかりに見事だ。「気持ちいいですねえ、
こんなところで田んぼをしていたなんて」と、だれもが口にしそうなことしか言
えなかった。「能登にはこんな風景あちこちにありますよ」。「え?そうなんで
すか」と驚いた。これまで何度も能登半島をまわりながらいったい何を見てきた
のか、愚鈍な自分にあきれかえるが、こうして私有地でもある能登の奥深くに分
け入るなど思えばほとんどなかったことだ。ふるさとの棚田の風景を復活させる
夢を抱いて取り組み始めた鴻さんたちの田舎暮らしは、端で考えているほど甘く
はないようだ。ゆったりしているようで、日々することは絶えない。便利な町か
ら離れた自然に寄り添う生活は、暮らすことがそのまま生きることでもある。案
外忙しいのだ。まだ手を加えるゆとりのない裏の田んぼを、豊彦さんは言葉もな
く見つめていた。そしてその田んぼを、まさかこのド素人に任せてくれるとは…
いつかはやってみたいと願っていた田んぼにはちがいないけれど、気持ちのいい
この土地で、しかも自由にしていいと、まるで夢のような話だった。農機具も苗
もすべてがそろっている。足りないのは、人手だけ。いや、田んぼ一枚鍬一本で
できるかもしれない。などと迷ったあげく、お引き受けすることにした。まずは
鴻の里の非常勤の一員として、半農半写真生活が動き出す。素人らしく「鴻の里
同好会」として仲間作りも兼ねながら。
2013年11月5日
奇跡のむらの物語
友人が紹介してくれた『奇跡のむらの物語』を読んだ。奇跡などという大仰な言葉を冠した題名は好みじゃなかったが、読み進むうちにやはりこの物語は奇跡だろうと思った。副題は「1000人の子どもが限界集落を救う!」。人口が二千人に満たない長野県泰阜村が舞台だった。その寒村に千人もの子どもたちがキャンプに訪れる。村や村人と、NPOグリーンウッドのスタッフらが恊働し、キャンプばかりか山村留学、自然学校などを展開し、教育を柱に据えて村と村人の意識を見事に蘇らせた。
この本の著者の講演を聞いた友人は、会場でマスノの顔を思い浮かべたのだと言う。福島の子どもたちを招いた保養キャンプをこれで一年あまり仲間たちと継続して開いているからだが、ほかにも同様のプログラムを開いている団体はいくつもあるわけで、その中でなぜマスノかと考えた。友人には、この本人にさえ見えない心の内が透けて見えたのかもしれない。読後に感じているのは、この世界がこれからやってみたいと描いているものかも知れない、ということだった。
高齢者ばかりが残り限界集落と言われる辺境の村に住む人たちの思いとはどんなものだろうか。都会生活の視点から見た姿が人間社会の理想に思えた時代はいまだにつづいているんだろうか。中央志向の人間社会こそそろそろ限界に差し掛かっているような気がしないでもない。寒村を訪れた子どもたちが、村人には当たり前過ぎる風景や暮らしの知恵に感動の声を上げた。村人は、忘れ去っていた村の宝物に改めて気づきはじめた。こんな村には未来はないと我が子を都会へと押しやってきた過去を省みた末、受け継いで来た伝統を今改めて都会の子どもたちへと伝え始めている。言葉にするとなんとも味気ないけれど、そこに生まれただろう数々のドラマを想像しながら、世代を越えた交流があってこそ健全と言える人間社会の舞台は、都会よりむしろ辺境の地こそが相応しいだろうと思える。生きる力とは、暮らしの中から生まれてくるものだ。
「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」と、輪島を舞台にした「鴻の里」と、本の内容にあるような舞台が今目の前にある。読みながらそのことをずっと感じていた。原発事故と放射能問題から子どもたちを守り応援することと、限界集落にも近い鴻の里での野良仕事や自然生活と、どんな形になるのか今はまだなにひとつわからないが、この両者が連携してさらに磨きをかけた物語に発展しないものだろうか。夢を夢で終わらせない行動力が不可欠ではあるけれど、余生を過ごすにはあまりある意義を感じてしまう。
けれど、事は言うほど簡単じゃない。実際、泰阜村の物語は今から二十五年もさかのぼって始まる。外から入ってきた若者の情熱と、苦労を厭わない日々の積み重ねと、支え合う仲間。さらには過酷な山村の暮らしを生き抜いてきた人々の知恵と誇り、崇高な思想を持ち強力なリーダーシップを発揮する村長ら行政との連携。必要不可欠な存在が力を合わせてこそ実現した。
泰阜村の松島村長はあの “平成の大合併" の折、「我々が守るのは村ではない。どんな体制で仕事をしようが、地域のことは住民が決める自己決定権を手放さないことだ」と言い、合併反対を貫いたそうだ。国策のエネルギー政策にからむ原発問題がいい例だ。国の力に押し潰されることで生かされてきた地方自治体の無力さを思うと、泰阜村の人々の気概こそが生きて行く上でもっとも大切に守らなければならないものだとわかる。何もない村のすべてのさりげないものが、実は決して失ってはならない財産だった。
今はまだ、何も動いてはいない。ただ歩んでみたい道がぼんやりとでも見えてきたように、小さな芽が顔をのぞかせている気がする。
鴻の里 #015 鴻式自然農
自然農という農法がある。川口由一さんというお百姓が提唱実践している。鴻
さんたちも奈良にある川口さんの塾に出かけ学んできたそうだ。まだお会いした
ことはないが、ひとときでも鴻の里で過ごすからにはとこの初心者も川口さんの
本を取り寄せていくらか読んでいる。その川口さんには「自然農という決まった
一つの方法があるわけじゃない。それぞれのやり方を見つけていけばいい」とい
うような印象深いひと言がある。参考にしようとわざわざ読んでいるのに、すっ
かり真似をするなと言っている。環境に合わせたそれぞれの最前を模索しろとい
うことだろう。なかなかに骨の折れる仕事だが、まさに試行錯誤の実践あるのみ
実に心地いいアドバイスだ。鴻さんたちは今年十枚の田んぼで米を作った。面白
いのは、そのどれもが少しずつちがう表情をしていることだ。慣行農法然として
割とすっきり整っている一枚があれば、草原か荒れ地と見間違えるほど暴れん坊
の田んぼもある。すべて耕されていない。言うなれば、ぶっきらぼうに植えられ
た。たとえばもっともユニークだと感じる田んぼは棚田の最下段にあり、一面を
覆っていたススキを苅り払ったあと、内に格子状に溝をめぐらし、田植えは棒切
れで空けた穴に苗をはめ込むという感じだった。手伝いながら、これが本当に実
るんだろうかと秋の姿が楽しみだった。掲載の写真が、その田んぼの一画。繁茂
するミゾソバと稲穂が絡み合い、競い合って成長した痕跡が残っていた。さらに
イノシシが侵入した形跡まであり、なんともはや、鴻式自然農の前途は多難なが
らすこぶる逞しい。豊彦さんは言う、「この美しい棚田の風景を蘇らせたい」。
その取り組みがいよいよ形になって見えてきた。
さんたちも奈良にある川口さんの塾に出かけ学んできたそうだ。まだお会いした
ことはないが、ひとときでも鴻の里で過ごすからにはとこの初心者も川口さんの
本を取り寄せていくらか読んでいる。その川口さんには「自然農という決まった
一つの方法があるわけじゃない。それぞれのやり方を見つけていけばいい」とい
うような印象深いひと言がある。参考にしようとわざわざ読んでいるのに、すっ
かり真似をするなと言っている。環境に合わせたそれぞれの最前を模索しろとい
うことだろう。なかなかに骨の折れる仕事だが、まさに試行錯誤の実践あるのみ
実に心地いいアドバイスだ。鴻さんたちは今年十枚の田んぼで米を作った。面白
いのは、そのどれもが少しずつちがう表情をしていることだ。慣行農法然として
割とすっきり整っている一枚があれば、草原か荒れ地と見間違えるほど暴れん坊
の田んぼもある。すべて耕されていない。言うなれば、ぶっきらぼうに植えられ
た。たとえばもっともユニークだと感じる田んぼは棚田の最下段にあり、一面を
覆っていたススキを苅り払ったあと、内に格子状に溝をめぐらし、田植えは棒切
れで空けた穴に苗をはめ込むという感じだった。手伝いながら、これが本当に実
るんだろうかと秋の姿が楽しみだった。掲載の写真が、その田んぼの一画。繁茂
するミゾソバと稲穂が絡み合い、競い合って成長した痕跡が残っていた。さらに
イノシシが侵入した形跡まであり、なんともはや、鴻式自然農の前途は多難なが
らすこぶる逞しい。豊彦さんは言う、「この美しい棚田の風景を蘇らせたい」。
その取り組みがいよいよ形になって見えてきた。
2013年11月3日
鴻の里 #014 笑顔
いい顔とは笑顔のことではけっしてないと思うけれど、鴻豊彦さんの笑顔だけ
はいい顔だとそれに出会う度につくづく思う。輪島の生家に越してくる前は金沢
に住み、構造計算を生業としてフリーで忙しい毎日を送っていたそうだ。今もそ
の仕事と並行したいわば兼業農家ということになる。「こっちに住むようになっ
て痩せましたよ、すっかり健康になってしまって」とまた笑った。金は回るだろ
うが時間に追われた町の生活と比べ、里山のリズムは時に止まっているような気
さえするほどゆったり流れている。仕事量はほどほどで、だから息をつくひとと
きが確かに何度となくある。時間を自らの領分で管理できることは、思えばとて
も幸せなこと。土の上で働き、空を見上げて汗を拭く。片時の手伝いに過ぎない
者もたったそれだけのことに満足している。人間もまた自然のリズムで生かされ
ている証のひとつだろう。「田んぼをするようになって、ひとつ大きく変わった
ことがあるんですよ」。一年をサイクルとした過程のひとつひとつに向き合い、
丁寧に取り組む経験と意識が構造計算の仕事にも好影響を及ぼしているのだとい
う。「これまでは量をこなすやり方で、今は質を高めている実感があるというか」
同い年のフリーランスの立場として実によくわかる感覚だ。もはや生きることを
急ぐ必要はないのだ。目的地は、息づいて生きている今、まさに生まれた此の土
地だったのだろう。豊彦さんの笑顔は、時に田んぼの草や虫を連想させる。自然
農はそれらを敵としないからだろうか。環境に溶け込みこそすれ、何者とも争う
必要がないのだ。
2013年11月2日
鴻の里 #013 家系
あてがわれた奥座敷に入ると、ご先祖を描いた床の間の掛け物がまず目に飛び込んできた。その姿に見習い居住まいをただす。声に出さずともひと言ばかりごあいさつ。鴻家十二代の主だ。当主豊彦さんの四代前の方になる。農事造林ともに勤勉で殖産の功があったと添えられている。代々伝わる家系などどこか遠い世界の話に感じていたが、こうして残されているご先祖の姿を目にすると、だれにも家系というものが確かにあるのだと思いいたる。今というこの見えるばかりの状況に目を奪われているわけには行かない。たとえば鴻さんたちは家屋敷や田畑ばかりでなく、同じ系統の血を受け継いでいる。これまで血統のことなど考えたこともなかったが、顔や姿形、性格、あるいは人間というものに対する思いや生き方などまでが、なんらかの脈絡をもって引き継がれているのかも知れない。むしろそう思う方が、この土地に滞在している間のことだけだとしても、母屋のさりげない空間から不思議な魅力が立ち上り、思わず身が引き締まるのを覚えた。見守られているのだろうか、それとも見抜かれているのか、人としての今。
2013年10月31日
鴻の里 #012 微笑み
微笑みをたたえる高さんにようやく出会えた。鴻さんの家から何百メートルも下にある自宅から実った野菜をいつも歩いて届けに来られる。田舎の親しいご近所づきあいはよく聞く話だが、九十歳を越えて柔らかな足取りで急坂を上り下りしては顔を出されるのだから驚く。「あんたさん、どこぞの方やいね」と問われ、「鴻さんの友人です。稲刈りの手伝いにきました」とそのまま答えた。思えばそんな会話さえうれしい。能登を歩きながら何人もの方を撮ってきたけれど、そのほとんどどれもが行きずりの旅で出会う片時のものだった。能登に暮らしているわけではないのに、今は少し身近に感じられる。撮ることだけならだれでも簡単にできる世の中だ。だがその方が何を思い、何を哀しみ、何を楽しんでいるかも知らないで、果たして撮ってどんな意味があるのか。九十年は長かっただろうか。どんな人生を歩んでこられたのか。微笑みまじりのひとときを何度でも過ごしてみたいものだ。
2013年10月25日
鴻の里 #011 星が降る夜
里山の夜。イノシシ対策のために鴻さんたちは夜中でも交替で爆竹を打ち鳴ら
すようになった。始めて以来、田んぼに侵入する気配はなくなっているようだ。
どんなに疲れて眠っていても、鋭い爆発音でいつも目が覚めた。ほとんどすぐに
また寝入ってしまうのだが、その夜は外へ出る気になった。街灯のない里の暗闇。
目が慣れるまでにかなり時間がかかる。山で使っているヘッドライでは明るすぎ
てせっかくの闇が台無しになるだろう。思いついてスマホのアプリにあるライト
で足下を照らすと、割と具合がよかった。なんと美しい星空。湿気のせいか曇っ
たレンズが柔らかに焦点をぼかした。里山の夜はまるでお伽の国に迷い込んだ気
分にさせてくれる。付近を彷徨っているだろう獣たちにこの星は見えているだろ
うか。静寂の中では感じているものを言葉に置き換えないでおこう。ただ眺めて
いればいい。撮ることと立ち尽くすことで半分ずつにした。夜空に瞬くものはい
つの時代の光なんだろうか。あのとき感じていたものと、宇宙の遥かかなたから
降ってきているものとになにやら関係がありそうな、里山の夜は不思議な気分に
させてくれた。
2013年10月24日
鴻の里 #010 一日を終える
一日の仕事を終える。同じように日々を過ごしてきたはずなのに、この頃一日
を終えるという感覚をあまり感じなくなっている。精一杯、可能なかぎりを尽く
して生きていないからだろうか、もう決して若くはない世代に入り日常に慣れ切
ってしまったんだろうか、などと時折思いをめぐらした。だがなんと言うことも
なかった。どうやら自然のリズムを感じない生活に陥っていたようだ。朝の光を
感じて目覚め、暮れ行く空を見上げてほっと一息をつく。その間の明るい時間に
風に吹かれ、雨に打たれ、あるいは陽を浴びて大地に立つ。あまりに自然でつい
やり過ごしてしまう身近な現象との関わりからしか感じられない生の実感という
ものがあるのだろう。暗くなるまで飛び回り、恐る恐る開けた長屋のドアの内側
に鬼の顔をしたおふくろが立っていた、あの子どもの日々が今、急に蘇ってきた。
生きながら自らに背負わせてしまうものこそそれぞれの人としての重みにもなる
のだろうが、その重荷を一つ二つと足下に下ろしてみる夕暮れ時を境にして、静
かな闇の世界に入って行く。闇に佇み、どこか安堵した、眠りにつく暗い時間に
もまた生がある。老いてなお生き生きと内に宿る懐かしい子よ、お前はいま何処
にやある。闇でこそ、一日をしかと終えてこそ、感じられるものがある。
2013年10月23日
鴻の里 #009 煙り
囲炉裏の煙りに心まで燻されている気がした。しかも乾いてかさかさになっていくのではなく、醸され柔らかになるように。言葉がなくても、むしろ言葉少ないからこそ、感じるひとときがある。火や煙りが力添えしてくれたのか。人には思いがある。その思いに、逃げずに真正面から向き合えるなら、たとえどんなに鬱々として悩み多きものだとしても、思いの重みを生の糧へと置き換えることができるだろう。朝になって気づいた。囲炉裏の煙りが屋根裏から外へと流れ出していた。煙突ではなく、逃げていく煙りの通り道があった。流れは、まるで人の思いを乗せているかのように、ゆらゆらと漂い、空へと広がり、やがて消えて行った。此の地に改めて生きようと決めたことも、このままでは里山の未来は危ういと感じることも、おそらくは煙りを吸い込んだ空に届いているのだろう。此の世に生きている片時だけが生きていることではけっしてないだろう。そう想わずにはいられなかった。囲炉裏の傍らに座って向き合った何代もの人々の、今もそのひとつの時代になって行く。
2013年10月22日
ぬくもり村のメリークリスマス
冬のキャンプスタッフ募集!
ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプがこの冬に予定しているプログラムの準備が始まっています。これまではスタ
***
【ぬくもり村のメリークリスマス】
プログラム期間中をクリスマスウィークとして雰囲気たっぷりに遊ぶ、作る、歌う、
◆日程
12月21日(土)〜25日(水) 白峰温泉御前荘コテージ
12月25日(水)〜27日(金) 金沢市キゴ山ふれあいの里
*25日が移動日となります
◆参加募集人数
20人(福島15人、石川5人)
◆必要なスタッフの人数
全日程参加 8人
サポート 参加ご希望のすべてのみなさん
◆主な内容
●雪のツリー、スノーランタン、さらには雪像、雪洞などを作り
◆食事
玄米菜食を取り入れながら、子どもたちには強制せずに徐々に慣
※なお参加者募集は11月中旬ごろを予定しています。
2013年10月20日
疑わしきは被告人の利益に
「疑わしきは被告人の利益に」。裁くのが人間である以上あやまりがあるかも知れない。ひとつのえん罪もあってはならないとする司法のこの大前提がないがしろにされている。再審を認めなかった櫻井龍子裁判長は、その心構えとして「裁判に携わるのは初めてですので,人を裁くことの重さを噛みしめ,自己研鑽に努め,公平で,公正な判断ができるよう心して参りたいと思います。特に社会が大きく変化し,国民の意識も多様化してきていますので,多くの方々の声に耳を傾けながら,ひとつひとつの事件に丁寧に対応し,バランスのとれた判断を積み重ねていくことが大事だと思っています」と就任時に記している。司法の仕組みにある数々の問題を言う前に、裁きの重みを知るはずの裁判官がその自覚をどれほど持っているのだろうかと問いたくなる。
この事件のその後の経緯を扱った映画『約束』を観て以来、死刑囚となった奥西勝さんの心情に度々思いをめぐらすようになった。そのどれほども感じることは叶わないけれど、えん罪に陥れられることはだれにもあることだと確かに感じている。検察官は無罪につながるような不利な証拠は伏せ、有罪を立証するものだけを提出する。裁判官はその証拠を元に判決を下す。これでは真相ではなく罪人を確定することが大事であるかのようだ。司法とは、それに携わる人々は、いったい何を望んでいるのか。
奥西さんの人生を、あるいはえん罪を押し付けられた人生を、もしも自分のものとして経験しなければならなかったら、どんな思いでその日々を生きるだろうか。やり切れない哀しみ、苦しみ……、どんな言葉でも足りない感情があるにちがいない。「疑わしきは被告人の利益に」という絶対のルールさえ守られない世の中にだれもが生きている…
日常の中でも、人が人を疑い、裁くことが当たり前になっている、己を含めて。他を思い遣ることは並大抵のことではない。大方、簡単にそうできる状況で思い遣っているに過ぎないのだろう。えん罪を晴らそうと立ち上がった人たちの尊い意志と人生をも思う。
名張毒ぶどう酒事件:「最後の戦い」敗れる 再審認めず
名張毒ぶどう酒事件・最高裁の棄却決定に思う
裁きの重み 名張毒ぶどう酒事件の半世紀
2013年10月14日
鴻の里 #008 刈る
腰を屈め、拳で握った一束を、片や鋭い歯の鎌で断つ。気を引き締める。たか
だか数日の体験だったが、稲刈りは己とも出会える、静寂の修行のひとときでも
あった。鳥のさえずり、虫が鳴く声を風が運んできた。ゲンゴロウかタガメか昔
見かけた田んぼの虫に再会すると、あの少年がふいに駆け足で飛び出して来た。
そろそろ六十年になろうかという生涯のひと区切りをつけるように、黙々と刈り
つづけた。人間とは実に危うい生き物だ。慣れ出してなにげに鎌を扱っていたの
か、手を切りそうになり、長靴の先をかすめたりした。人生のすべての時間に緊
張を強いることなどできるはずもないけれど、手を抜いたその瞬間に後の日々を
一転させる出来事が起き得る。さらには日常だ。有機栽培だ無農薬だと実しやか
な言葉を並べる前に、身体を動かしてこそ結ぶ実があることを、たとえば田んぼ
が教えてくれた。
2013年10月12日
鴻の里 #007 実り
そばにいて伝わるのは、去年にも増して実りを感じている豊彦さんの身体からあふれ
出す歓びだ。にこやかな笑顔、軽快な動きがそれを物語っている。鴻の里は自然農を目
指している。だがその道はまだ始まったばかり。休耕田だった田んぼを今年は十枚手が
けた。そのひとつひとつが様々な表情を見せて段々に連なっている。ごく普通にとても
田んぼらしいものから、半分以上も占めている草に埋もれて稲穂が顔を出す、刈った後
がまるで荒れ地のような田んぼもある。そのどれもが無農薬で無肥料で耕さないという
共通項を持っている。本などで学んだ知識を大事にする章子さんと、体験重視の豊彦さ
んと、絶妙なコンビかも知れない。なるべく互いに不満を残さないようにしているのか
折にふれて意見をぶつけ合う姿も見られる。それにしても広い棚田にぽつんといる人の
姿には、なんとも言えない魅力がある。爽やかな風のようだ、苦悩も何も脱ぎ捨てた。
鴻の里 #006 里山
だれが言い始めたものか今では里山がすっかり定着した。どこもかしこも里山と呼ばれ
一括りの同じような土地が散在しているようだ。けれども、同じ顔をした町や街と里山と
では大きくちがうものがある。確かに風景は似ているだろう。見かけるのは姿形の似た老
婆が乳母車然としたものを頼りによぼよぼと歩いている様ばかりだったりする。だが、見
つめているとそこには個別の息づかいが感じられる。個々の営みが風景の中に刻まれてい
る。限界集落が、この世の際に見えてくる。眠るように、静かに燃えている。
2013年10月6日
鴻の里 #005 道具
写真と関わりながらカメラという道具に無頓着な面がある。ほとんど手入れをしない
まま使いつづけている。愛着がないのか、それとも物にも人に対しても必要なはずの気
配りに欠けているのか、いずれにしても買い替えるほどの余裕は常にないのだから大事
に使わなければならない。使い込んだ道具を前に、己の至らなさが悲しくなる。これは
何を編んでいたのか、菰、それとも籠。作業が終わらないまま主はこの場に来ることが
できなくなったのか。まるで音が聞こえてきそうだ。手足がめまぐるしく動く様を想っ
てみる。お会いしたことのない方に寄せるひとときは、やがて迎える己の死へとつなが
って行く。存在すること、消えて行くこと、どちらのこともよくわからないけれど、何
か形が遺されていると切なくなるほどに今が愛おしくなる。その頃と変わらないのだろ
うか、この遺された藁の匂い、道具に宿っているこのものたち。大事に使おう。
鴻の里 #004 納屋
不思議の国に迷い込んだらこんな気持ちになるんだろうか。子どもの頃見たアメリカのテレビドラマに「タイムトンネル」というのがあった。いつもブラウン管の世界に入り込み主人公に乗り移ってドキドキしたのを思い出す。納屋に案内されたひととき、あの時と似た興奮に包まれた。あれこれと説明してくれる章子さんの話に、ため息まじりの返事が出るばかり。「おじいちゃんが編んだ縄がそのままになってるんやねえ」と、これが大阪なまりなのか、遠くから能登に嫁に来た章子さんも、知らない遠い昔を思い浮かべていたのかも知れない。その日々の風景が今もそのままに何ひとつ変わらず、佇むように在った。時間が止まっていた。否、流れずに生きているのだ。おそらくは慎重に扱うべきどこかのお宝よりもはるかに、心なのか下腹なのかどしんと感じる重みがあった。小雨の降る一日だというのに、納屋の中はあったかくて程よく乾燥していた。人の営みは止まっていても、この場所はやっぱり生きている、としか思えなかった。時間とは、いったいなんなんだろう。確かに流れてはいる。人も何もが年老いて朽ちてもゆく。けれど、感じているこの不思議はなんだろう。瑞々しいほどに身体にまとわりついてくるものがある。
2013年10月5日
鴻の里 #003 囲炉裏
火を囲むだけで和んでしまうのに、大きな囲炉裏を切ったこの空間に入った途端、思わずため息が出た。足下の板がいくらか軋む音を聞いてぞくっときた。なんという贅沢。その時代の人々がどんな思いで暮らしていたものか知る由もないけれど、この囲炉裏の傍に佇み話し込む人と人を見ながら感じたのは、日本の美しさだったかもしれない。向き合って話すだけならいつだってどこでだってできるだろう。だがその場に、自ずと生まれる静寂はあるだろうか。その静寂を慈しむように味わう瞬間はあるだろうか。人と人が交わる全うな環境が、古い日本には揃っていた。そして今も残している家がある。
2013年10月4日
鴻の里 #002 家
鴻の里について案内された家屋敷に、まず驚いた。豪邸や洒落た建物を見てもほとんど無感動で終わるのが常で建築などには知識もないから興味がわかないんだろうと自分では思っていた。それはこれまでにない不思議な感覚だった。住んでいるのはおそらく鴻さんたちだけではないのだろうと思わずにいられなかった。霊感とかオカルト的なものでなく、感じていたのはおそらく歴史というその場に堆積している時間のことだった。薄汚れて崩れかけた土壁にさえ風格が漂っている。痛んでいるというより、持ちこたえているのだ。聞けば築百三十年という。見ず知らずの何世代ものご先祖の方々を思い浮かべたくなった。生まれてこの世で生きていくことは決して自分ひとりの力では叶わないことを多少なりとも人なら誰もが感じていることだろうが、古い家の前に立つとその意味がいくらかわかったような気がした。代々生命を受け継いできたというだけでなく、人は古より今も脈々と息づいている力に守られているのだろう。鴻さんの家がその表れのひとつなんだと思った。
2013年10月3日
鴻の里 #001 夫婦
鴻さんに出会ってそろそろ三年ほども経つだろうか。はじめは奥さんの章子さんの方だった。「これ、なんて読むんですか?」とおそらく誰もが尋ねるにちがいない、鴻さんたちにとってはお決まりの質問をして、返ってきたのが、びしゃごです、だった。何度も会うことはないだろうと、問い返すのを躊躇い覚えたような顔をしてしまった。せっかく教えてもらったのにその後もなかなか覚えられず、なんとも情けないかぎりだ。それが今では、鴻の里と呼んで何度か訪ねるほどにまでなっている。
この春に出会ったご主人の豊彦さんとは同い年だった。三年前に豊彦さんの生家に住み始めたおふたりは今、自然農に取り組んでいる。「この棚田の風景を残したいんです」との思いを聞いて、同世代として、さらには半農半写真的な暮らしを夢見ている者として、なんとも羨ましい気持ちになった。田舎暮らしは決して生易しいものではないようだが、何が羨ましいと言って、同じ目的に向ってふたりで歩いていることだった。結婚して三十年あまりにもなる今頃になってときどき考えるのは、夫婦について。好いた惚れたの時代などあっと言う間に過ぎ去った。長く連れ添った夫婦にとっての晩年の日々をもしもちがう先を見て暮らすなら、いったいなんのための夫婦なんだろう。などという思いもめぐらしながら、鴻の里通いを続けてみようかと…。
自然農とは、耕さず、肥料や農薬を一切使わず、草や虫を敵としないというもの。とても興味がある。
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