2013年10月14日

鴻の里 #008 刈る




 腰を屈め、拳で握った一束を、片や鋭い歯の鎌で断つ。気を引き締める。たか
だか数日の体験だったが、稲刈りは己とも出会える、静寂の修行のひとときでも
あった。鳥のさえずり、虫が鳴く声を風が運んできた。ゲンゴロウかタガメか昔
見かけた田んぼの虫に再会すると、あの少年がふいに駆け足で飛び出して来た。
そろそろ六十年になろうかという生涯のひと区切りをつけるように、黙々と刈り
つづけた。人間とは実に危うい生き物だ。慣れ出してなにげに鎌を扱っていたの
か、手を切りそうになり、長靴の先をかすめたりした。人生のすべての時間に緊
張を強いることなどできるはずもないけれど、手を抜いたその瞬間に後の日々を
一転させる出来事が起き得る。さらには日常だ。有機栽培だ無農薬だと実しやか
な言葉を並べる前に、身体を動かしてこそ結ぶ実があることを、たとえば田んぼ
が教えてくれた。










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