2013年12月12日

背中の未来



「狭いながらも楽しい我が家」ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ支援マーケット。

https://www.facebook.com/events/221858771320334/?fref=tck

 去年の冬のキャンプで子どもたちに昔遊びを教えてくれた瑞江さんが、自宅を開放してガレージセールを開き、収益金をFKキッズキャンプに寄付してくれます。そんなのどこでもやってるんじゃない?と思うでしょ? とんでもありません。放射能に悩まされる子どもたちを思う気持ちが強くても、幼い我が子を育てる若いおかあさんにとって自由に行動できる時間や場を確保することがどんなに大変か、ちょっと想像すればだれにもすぐにわかります。そんな暮らしの中でのこの、「狭いながらも楽しい我が家」ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ支援マーケットです。所狭しと並んだ品々と、そこにあるぬくもりの輪を楽しみたい方、ぜひ一度足を運んでみてください。ジジイのぼくは気恥ずかしくて、女性の輪の中にはとてもじゃありませんが顔を出せない…(苦笑)。

 二年目を迎えたFKキッズ交流キャンプに参加する福島や石川の子どもたちの仲が深まるのはもちろんですが、実はそれ以上に応援するおとなの輪がまるで自然現象のように静かに広がり深まっています。「ねえジャイアン、福島キッズとキャンプしない?」と投げかけたひと言は池に投げた小さな小石でしかありませんが、そこから広がる波紋の美しさと言ったら、その輪の中にいてこそ感じられるもの。外から見ているだけでは、世の中の事象は単なる現象でしかなく、理解したつもりでもすぐに消えて忘れ去ってしまいます。生きるとは事象に飛び込んで行動することでもあるのだと、行動してはじめて実感しています。

 3.11以降、福島ばかりか東北関東一円の至る所で高い線量の放射線が観測されています。報道されないだけで、事態は一向に改善されていないことをだれもが不安に感じているでしょう。オリンピックだなんだと喜んでばかりでは、こんなになってしまった日本の庶民としてどこかに大きな欠陥があると言うしかありません。福島原発事故の原因がなにひとつ解明されないままに、再稼働への動きが鮮明になる雲行きです。またいつ起こらないとも限らない原発事故(人為的な事件かもしれませんが)の責任は、結局だれひとり取れないことが、あるいは取ろうとしないことが明確になりました。

 キャンプは子どもたちを思い開いています。その子どもたちは海や森のフィールドを飛び跳ねながら、実は共に生活するおとなたちを無意識にでも注意深く観察しています。応援することが一方的な押しつけになってはいないか、教え導くなどと傲慢になっていないか、気分だけで行動し感情を露にしていないか、などと、個人的に気をつけたいことが山ほどありますが、それらも子どもたちと真剣に過ごすキャンプがあればこそ感じることです。人間関係とは、お互い様のようです(まことにジジイらしいことを感じるようになりました、笑)。未来とは、人と人が交わりふれあう間(あわい)にすでに存在しているのかもしれません。広がる波紋の中で揺れながら、その形がうっすらと見えている気がするのです。

 おとなは、その生き様を子らに背中で見せる。古くさいと言われようが、年を取りながらますますそう感じています。背中に未来を背負いましょう。











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