囲炉裏の煙りに心まで燻されている気がした。しかも乾いてかさかさになっていくのではなく、醸され柔らかになるように。言葉がなくても、むしろ言葉少ないからこそ、感じるひとときがある。火や煙りが力添えしてくれたのか。人には思いがある。その思いに、逃げずに真正面から向き合えるなら、たとえどんなに鬱々として悩み多きものだとしても、思いの重みを生の糧へと置き換えることができるだろう。朝になって気づいた。囲炉裏の煙りが屋根裏から外へと流れ出していた。煙突ではなく、逃げていく煙りの通り道があった。流れは、まるで人の思いを乗せているかのように、ゆらゆらと漂い、空へと広がり、やがて消えて行った。此の地に改めて生きようと決めたことも、このままでは里山の未来は危ういと感じることも、おそらくは煙りを吸い込んだ空に届いているのだろう。此の世に生きている片時だけが生きていることではけっしてないだろう。そう想わずにはいられなかった。囲炉裏の傍らに座って向き合った何代もの人々の、今もそのひとつの時代になって行く。
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