2014年9月18日

写真が恐い




 長年撮り続けてきて思うことがある。一瞬が定着する写真の恐さというのか、写っている人のさりげない表情が映し出す心情まで感じられることだ。先日ご縁をいただいて撮った結婚式の、集う人たちにあふれている微笑ましい表情の数々はさすがに晴れのひとときを感じさせた。幸せを祝福する人の姿はまぶしい。母が娘に向けるまなざしからはぬくもりや優しさという心模様が表れている。おそらく意識はされていないのだろうが、撮っているとそれぞれの瞬間が表しているなにがしかのものを感じて、いい気持ちにもなり、あるいはその逆に恐くなることもある。福島の子どもたちとのキャンプ中に撮られた自分のさりげない瞬間の写真を見て、その無表情ぶりに愕然とすることがある。心が動いていない、感動する瞬間がないのだろうか。一枚の写真に己の今を突きつけられる。恐い。日常の時間は停まることがなく、見逃していることがいったいどれほどあることか。あれやこれやと気づかないまま、だから苛まれることもなく生きていられるのかもしれない。










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