2022年1月5日

言葉の陰にあるもの




 嘘、偽りが平気の平左で大通りを闊歩しているというのに、住人はおろか通行人のだれもがそれを止めることができずにいる。嘘をつかないやつなんていないと高をくくっているから咎められはしても嘘は知らんぷりでますます幅を利かせているのか、とにかくこの国はもはや目も当てられない惨憺たる状況で、言葉が、言葉そのものが、乱れて廃れて、広がるインターネットと実社会との境界はもやもやと煙に包まれ、どこもかしこも仮面を被った匿名だらけの暴言妄言で溢れかえっている。

 などと想像していると、このちっぽけな心にいくらかはあったはずの潤いというものまでなくなり、カサカサと細胞は渇いて、頽れる味気ないばかりの感覚を抱えたまま、一日にせめて一篇ぐらいふれたいものと開く詩集。この頃は出会ったばかりの志樹逸馬、たとえば今朝はこんな詩にひとつ、深い息がつける。



 土壌

 わたしは耕す
 世界の足音が響くこの土を
 全身を一枚の落ち葉のようにふるわせ 沈め
 あすの土壌に芽ばえるであろう生命のことばに渇く
 だれもが求め まく種から
 緑のかおりと 収穫が
 原因と結果とをひとつの線にむすぶもの
 まさぐって流す汗が ただいとしい

 原爆の死を 骸骨の冷たさを
 血のしずくを 幾億の人間の
 人種や 国境を ここに砕いて
 かなしみを腐敗させてゆく

 わたしは
 おろおろと しびれた手で 足もとの土を耕す
 どろにまみれる
 いつか暗さの中にも延してくる根に
 すべての母体である この土壌に
 ただ 耳をかたむける



 志樹逸馬という詩人を知ったのも半ば嫌になっているインターネットのおかげで、お会いしたこともないけれど気になってTwitterでよく拾い読みする若松英輔氏編の『新編 志樹逸馬詩集』(亜紀書房)、不思議なもので、人であろうと物であろうと気になる対象へと近づくことの繰り返しが人生のような凡夫でも、いつともなく、その恩恵を享け生きていることに気づかされる。

 詩を読みはじめたころはどうやらひたすら理解しようと努めていたようで、物覚えの悪さも手伝って今日まで印象に残っている作品がなく、理解はあきらめ、言葉の奥にあるような詩人の世界を感じようとする旅、まさに旅の気持ちになってみると、音読する度にちがう感慨にふれたりもする。

 この詩集には編者による詩人の解説や年譜があるものの、ハンセン氏病を抱えて生きた詩人の日常を事細かに知る前に、遺された詩の言葉そのもので出会いたい気持ちになった。

 人が生きるとはどういうことなのか、考えても決して届きそうにない答えをずっと探してきたような気がする。詩人の生きた世界を幼な子のような目と心で覗いてみたい、などとこの歳になってまだ心を躍らせたいようだ。

 詩集の巻頭には詩人のこんな言葉がある。


 これを読む あなた方のかなしみからよろこびから
 はじめてあたらしく生れた友情の指さした彼方へ 共に歩みたい


 なんて優しい方だったのか。優しい人は世に大勢いるだろうが、見ず知らずの読者にまで馳せた友情という名の優しさほどあったかいものをほかに知らない。毎日一二篇の詩を読む声が詩人にも届いてほしいとの祈りにも似た願い事が芽ばえる、寂しいのかもしれない、この心。

 


















創る家族



 新しい年を迎えている。去年一年、このブログを更新していなかったようで、そうするとありふれた日常だからなおさら振り返ることができないのだと知った。この程度のものでも、書くという行為と、残された書かれたものにもそれなりに意味があると感じた年の始め。さしてすることもない残生の、楽しみの一つとして事あるごとに認めておくとしよう。そう書くのではなく、まさに心のうちを認めるのはとても大事なことだと思える。

 秀夫さんと優ちゃん、なんとも味のあるこの二人の友人、彼らとの出会いはもうかれこれ十年ほども前になる。我が唯一の作品と言ってもいい『風の旅人』43号に掲載された「生の霊」の写真を見た二人が、彼らの結婚式の撮影を依頼してきたのがはじまりだった。今では二人の子に恵まれ、農を中心に据えた、一段と味わい深い暮らしを営んでいる。地域を巻き込んだ活動の場を創ろうともしていて、数家族の友人知人とともにぼちぼちと動き出している。その様子を撮ってほしいとの要望に応えたつもりが、なんのことはない、これはこれから勤しむべき我が作品作りの場でもあるのだと自ずと気づかされた。

 そうだった、東松照明にあこがれて写真を始めたころ、人を撮ってみたいとの夢があった。それが、初めて体験した撮りたい、撮らねばならないという衝動から生まれた「生の霊」で結実。それ以降は、何のために撮るのか、なぜ作品として捉えるのか、テーマは考えるものなのか、などと頭の中はぐるぐると下手な考えで堂々巡り、心は写真から離れるばかりで、もはや写真家を志す人生は終わったのだと決めつけていた。

 二人が営む渡部建具店は先代までの家業で、今は屋号のみを受け継ぎ、中身はもしかすると見えない何物かをこつこつ組み立てるように創造しようとしているのかもしれない。その最たるものが家族、または暮らし。昨年から二度ほどお邪魔して、その感覚はさらに強まった。

 家族。この頃痛いほどに心を締めつけられるのは、「生の霊」を演じた実の娘との間についに罅が入ったからで、家族とは全体何なんだろうと振り返らないでは済まされない状況に陥った。このタイミングで渡部さんのご家族とふれあうのは、おそらく必然にちがいなく、彼らの温もりと我が身の内の寒々しさとを対比しながら、一歩一歩と心の旅を深めてみたい気がする。

 優ちゃんの一声で、晩秋に子供たちの歓声で賑わった田畑へと出かけた。またしても撮るというよりいっしょになって遊んだ。「ますやん」とニックネームで呼ばれると、福島の子供たちを招いて仲間たちと開いた保養キャンプを思い出し、ついつい遊びたくなる。しかも、まさしく純粋無垢な二人の姉弟ときては、遊ばないではいられない。見守りながら、関わりながら、共に場を創っているのがアーティスでもある母ちゃんだからか、いつとはなしに常に創造的な気に包まれている。この子供たちの十年、二十年先の姿が今から楽しみ、これではまるで田舎のおじいちゃんの気分だろうか。

 心に入った罅は、悲しいけれど、たぶんもう取り除けない。だったらむしろ大事に抱えてみるというのはどうだろう。心の襞のように、顔中に広がる皺のように、生きた証にしてしまう。いささか負の方向ながら、これもまた創るということの一つに思えなくもない。