2014年4月27日

息子たちへの贈り物




 息子が野球をしていた中高時代のチームメイトらの関係は今もずっとつづいていて、年を追うごとに味わい深いものになっているようだ。「ますのさんにぜひ撮ってもらいたいんです」と、その一人が結婚の日の撮影を頼み込んできた。あの頃にも撮ってやった試合中の写真を気に入り、いつか結婚するならその時もまた、そう思い続けていたなどと言われれば断りようがない。「今どきの若い感覚を求められても撮れないからな」と前置きして引き受けた。

 それにしても、息子たちにとってのその友人関係は生涯の宝物になるのだろう。いつも兄弟以上に力を合わせている。このおやじの散々な人間関係に比べると、まるでこの世の奇跡だとさえ思う。人はひとりでは決して生きて行けない。支え合う友人を必要とする場面が数多くあるだろう。そして、だからこそひとりでも生きて行こうとする力も生まれるのだ、と思う。

 三年目を迎えた福島の子どもたちとのFKキャンプにテーマソングまで出来た。「ひとりじゃできないことも、みんなといっしょならできる」というような一節が度々出てくる。いつも子どもたちと一緒に楽しんで大声で歌っている。それはそれで大いに結構なのだが、歌いながら実は気になっていることがある。赤信号みんなで渡ればこわくない、などと揶揄するわけではない。人は所詮一人で生きるのだ。そのための支え合いなのだ。キャンプの子どもたちが成長してこのジジイとまだ向き合って話す機会が残されていたなら、そう断言して別れるつもりだ。放射能の被害を乗り越えて生きる力は、それぞれが自らの意思で獲得しなければならない。仲良しこよしもほどほどに、と時に息子を見て感じることがある。楽しく遊んで飲み明かし、それで己の足下を見つめる時間をないがしろにしては行けない、などというメッセージをアルバムに添えておきたいくらいだ。

 そのアルバムの手作りに当てる時間も気力も、もはや持ち合わせてはいない。フォトブックなどというネットを介したサービスにまるで一般書籍然とした商品を見つけ、少々高価だったが利用した。「ますのさん、まだ四人いますからね。ぼくたちも撮ってくださいよ」。あの頃からおどけた奴だったが、独り身を謳歌しているくせに、人なつっこく言ってきた。ああ、生きていたならな。息子たちへの最後の贈り物のつもりで。