tag:blogger.com,1999:blog-86938137856961333002024-03-19T12:17:52.590+09:00kazesan雨のちくもり、ときどき写真家マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.comBlogger64125tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-78035629465430168892022-01-05T14:39:00.001+09:002022-01-05T14:39:13.405+09:00言葉の陰にあるもの<div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj2-0xTjvNzZ3AM5TldJw-ixU5vGTDZRqYdOYI_185WADdNXqdpiUGUCImqTiVMWcyI28VIpXtPLSdmWbVpyZojVpgX2jd80ckogoRvjIF2V4b1O_tK6x6QtbDXC4TbgwQzqhIqCkSsWw/s2048/me090509_8971.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1366" data-original-width="2048" height="427" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj2-0xTjvNzZ3AM5TldJw-ixU5vGTDZRqYdOYI_185WADdNXqdpiUGUCImqTiVMWcyI28VIpXtPLSdmWbVpyZojVpgX2jd80ckogoRvjIF2V4b1O_tK6x6QtbDXC4TbgwQzqhIqCkSsWw/w640-h427/me090509_8971.jpg" width="640" /></a></div><br /><br /></div><div><br /></div><div> 嘘、偽りが平気の平左で大通りを闊歩しているというのに、住人はおろか通行人のだれもがそれを止めることができずにいる。嘘をつかないやつなんていないと高をくくっているから咎められはしても嘘は知らんぷりでますます幅を利かせているのか、とにかくこの国はもはや目も当てられない惨憺たる状況で、言葉が、言葉そのものが、乱れて廃れて、広がるインターネットと実社会との境界はもやもやと煙に包まれ、どこもかしこも仮面を被った匿名だらけの暴言妄言で溢れかえっている。</div>
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などと想像していると、このちっぽけな心にいくらかはあったはずの潤いというものまでなくなり、カサカサと細胞は渇いて、頽れる味気ないばかりの感覚を抱えたまま、一日にせめて一篇ぐらいふれたいものと開く詩集。この頃は出会ったばかりの志樹逸馬、たとえば今朝はこんな詩にひとつ、深い息がつける。</div>
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<span style="color: #38761d;">土壌</span></div>
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<div><span style="color: #38761d;">
わたしは耕す</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
世界の足音が響くこの土を</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
全身を一枚の落ち葉のようにふるわせ 沈め</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
あすの土壌に芽ばえるであろう生命のことばに渇く</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
だれもが求め まく種から</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
緑のかおりと 収穫が</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
原因と結果とをひとつの線にむすぶもの</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
まさぐって流す汗が ただいとしい</span></div>
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<span style="color: #38761d;"><br /></span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
原爆の死を 骸骨の冷たさを</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
血のしずくを 幾億の人間の</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
人種や 国境を ここに砕いて</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
かなしみを腐敗させてゆく</span></div>
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<span style="color: #38761d;"><br /></span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
わたしは</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
おろおろと しびれた手で 足もとの土を耕す</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
どろにまみれる</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
いつか暗さの中にも延してくる根に</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
すべての母体である この土壌に</span></div>
<div><span style="color: #38761d;">
ただ 耳をかたむける</span></div>
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志樹逸馬という詩人を知ったのも半ば嫌になっているインターネットのおかげで、お会いしたこともないけれど気になってTwitterでよく拾い読みする若松英輔氏編の『新編 志樹逸馬詩集』(亜紀書房)、不思議なもので、人であろうと物であろうと気になる対象へと近づくことの繰り返しが人生のような凡夫でも、いつともなく、その恩恵を享け生きていることに気づかされる。</div>
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詩を読みはじめたころはどうやらひたすら理解しようと努めていたようで、物覚えの悪さも手伝って今日まで印象に残っている作品がなく、理解はあきらめ、言葉の奥にあるような詩人の世界を感じようとする旅、まさに旅の気持ちになってみると、音読する度にちがう感慨にふれたりもする。</div>
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この詩集には編者による詩人の解説や年譜があるものの、ハンセン氏病を抱えて生きた詩人の日常を事細かに知る前に、遺された詩の言葉そのもので出会いたい気持ちになった。</div>
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人が生きるとはどういうことなのか、考えても決して届きそうにない答えをずっと探してきたような気がする。詩人の生きた世界を幼な子のような目と心で覗いてみたい、などとこの歳になってまだ心を躍らせたいようだ。</div>
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詩集の巻頭には詩人のこんな言葉がある。</div>
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<span style="color: #38761d;">これを読む あなた方のかなしみからよろこびから</span></div>
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はじめてあたらしく生れた友情の指さした彼方へ 共に歩みたい</span></div>
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なんて優しい方だったのか。優しい人は世に大勢いるだろうが、見ず知らずの読者にまで馳せた友情という名の優しさほどあったかいものをほかに知らない。毎日一二篇の詩を読む声が詩人にも届いてほしいとの祈りにも似た願い事が芽ばえる、寂しいのかもしれない、この心。</div><div><br /></div><div> </div>
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マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-40127348303563775812022-01-05T14:19:00.002+09:002022-01-05T14:24:29.916+09:00創る家族<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEieoBWNvZ8SfCMHkMalAd6D4yheMNZuO3H1BV6p04zekug9BmVlXpyrzO7oR_Ikitug-DwXKXIKft0D323-zA8pYW1Fdw9dZqUmfXNlPvMV_AOQzcPLCTYr9mSJLW-Su0J1UR0oawEFFgMULiFstKeZsg6WP6cvBnQepKsM0FauwVf2A-BmeA_iQg=s825" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="550" data-original-width="825" height="427" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/a/AVvXsEieoBWNvZ8SfCMHkMalAd6D4yheMNZuO3H1BV6p04zekug9BmVlXpyrzO7oR_Ikitug-DwXKXIKft0D323-zA8pYW1Fdw9dZqUmfXNlPvMV_AOQzcPLCTYr9mSJLW-Su0J1UR0oawEFFgMULiFstKeZsg6WP6cvBnQepKsM0FauwVf2A-BmeA_iQg=w640-h427" width="640" /></a></div><p><br /></p> <span style="font-family: times;">新しい年を迎えている。去年一年、このブログを更新していなかったようで、そうするとありふれた日常だからなおさら振り返ることができないのだと知った。この程度のものでも、書くという行為と、残された書かれたものにもそれなりに意味があると感じた年の始め。さしてすることもない残生の、楽しみの一つとして事あるごとに認めておくとしよう。そう書くのではなく、まさに心のうちを認めるのはとても大事なことだと思える。</span><p></p><p><span style="font-family: times;"> 秀夫さんと優ちゃん、なんとも味のあるこの二人の友人、彼らとの出会いはもうかれこれ十年ほども前になる。我が唯一の作品と言ってもいい『風の旅人』43号に掲載された「生の霊」の写真を見た二人が、彼らの結婚式の撮影を依頼してきたのがはじまりだった。今では二人の子に恵まれ、農を中心に据えた、一段と味わい深い暮らしを営んでいる。地域を巻き込んだ活動の場を創ろうともしていて、数家族の友人知人とともにぼちぼちと動き出している。その様子を撮ってほしいとの要望に応えたつもりが、なんのことはない、これはこれから勤しむべき我が作品作りの場でもあるのだと自ずと気づかされた。</span></p><p><span style="font-family: times;"> そうだった、東松照明にあこがれて写真を始めたころ、人を撮ってみたいとの夢があった。それが、初めて体験した撮りたい、撮らねばならないという衝動から生まれた「生の霊」で結実。それ以降は、何のために撮るのか、なぜ作品として捉えるのか、テーマは考えるものなのか、などと頭の中はぐるぐると下手な考えで堂々巡り、心は写真から離れるばかりで、もはや写真家を志す人生は終わったのだと決めつけていた。</span></p><p><span style="font-family: times;"> 二人が営む渡部建具店は先代までの家業で、今は屋号のみを受け継ぎ、中身はもしかすると見えない何物かをこつこつ組み立てるように創造しようとしているのかもしれない。その最たるものが家族、または暮らし。昨年から二度ほどお邪魔して、その感覚はさらに強まった。</span></p><p><span style="font-family: times;"> 家族。この頃痛いほどに心を締めつけられるのは、「生の霊」を演じた実の娘との間についに罅が入ったからで、家族とは全体何なんだろうと振り返らないでは済まされない状況に陥った。このタイミングで渡部さんのご家族とふれあうのは、おそらく必然にちがいなく、彼らの温もりと我が身の内の寒々しさとを対比しながら、一歩一歩と心の旅を深めてみたい気がする。</span></p><p><span style="font-family: times;"> 優ちゃんの一声で、晩秋に子供たちの歓声で賑わった田畑へと出かけた。またしても撮るというよりいっしょになって遊んだ。「ますやん」とニックネームで呼ばれると、福島の子供たちを招いて仲間たちと開いた保養キャンプを思い出し、ついつい遊びたくなる。しかも、まさしく純粋無垢な二人の姉弟ときては、遊ばないではいられない。見守りながら、関わりながら、共に場を創っているのがアーティスでもある母ちゃんだからか、いつとはなしに常に創造的な気に包まれている。この子供たちの十年、二十年先の姿が今から楽しみ、これではまるで田舎のおじいちゃんの気分だろうか。</span></p><p><span style="font-family: times;"> 心に入った罅は、悲しいけれど、たぶんもう取り除けない。だったらむしろ大事に抱えてみるというのはどうだろう。心の襞のように、顔中に広がる皺のように、生きた証にしてしまう。いささか負の方向ながら、これもまた創るということの一つに思えなくもない。</span></p><p><span style="font-family: times;"><br /></span></p><p><span style="font-family: times;"><br /></span></p><p><span style="font-family: times;"><br /></span></p><p><span style="font-family: times;"><br /></span></p><p><span style="font-family: times;"><br /></span></p><p><span style="font-family: times;"> </span></p>マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-58073244594647702562020-12-02T15:22:00.004+09:002020-12-03T06:54:28.861+09:00齋藤隆というドラマ<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjCjphePZpr2ZVXViOabxYTepqr4cgrTW26jXBrO8Unc53dRkHqKbW2kC03g4qQ3z_NuiwchXDy6VZpRI8JGk536lsD19yKwgMWp2OlCKysyPmjGrIujOfRd0iXdS8_SyigzbBM0lfwWg/s1422/%25E2%2591%25A1%25E3%2580%258A%25E3%2583%2588%25E3%2582%2599%25E3%2583%25A9%25E3%2583%259E%25EF%25BC%2588%25E5%259C%25B0%25E3%2581%25AE%25E5%25B7%25BB%25EF%25BC%2589%25E3%2580%258B%25E9%25BD%258B%25E8%2597%25A4-%25E9%259A%2586-1986%25E5%25B9%25B4-%25E7%25A6%258F%25E5%25B3%25B6%25E7%259C%258C%25E7%25AB%258B%25E7%25BE%258E%25E8%25A1%2593%25E9%25A4%25A8%25E8%2594%25B5-min-1.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="698" data-original-width="1422" height="314" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjCjphePZpr2ZVXViOabxYTepqr4cgrTW26jXBrO8Unc53dRkHqKbW2kC03g4qQ3z_NuiwchXDy6VZpRI8JGk536lsD19yKwgMWp2OlCKysyPmjGrIujOfRd0iXdS8_SyigzbBM0lfwWg/w640-h314/%25E2%2591%25A1%25E3%2580%258A%25E3%2583%2588%25E3%2582%2599%25E3%2583%25A9%25E3%2583%259E%25EF%25BC%2588%25E5%259C%25B0%25E3%2581%25AE%25E5%25B7%25BB%25EF%25BC%2589%25E3%2580%258B%25E9%25BD%258B%25E8%2597%25A4-%25E9%259A%2586-1986%25E5%25B9%25B4-%25E7%25A6%258F%25E5%25B3%25B6%25E7%259C%258C%25E7%25AB%258B%25E7%25BE%258E%25E8%25A1%2593%25E9%25A4%25A8%25E8%2594%25B5-min-1.jpg" width="640" /></a></div><br /> <div> 絵画にかぎらずおよそ芸術の類を鑑賞してもほとんど何も感じていないのではと己れを訝しみ、そのあまりの鈍感さにいつも悲しい思いをしている凡夫にとって、おそらくこれが生涯にたった一度の感動と呼べるものかもしれず、理解する力を持ち得ない恥を晒す覚悟で、一言だけでも書き残すことにした。</div><div><br /></div><div> 福島の友人に勧められて出かけた佐川美術館の地下の一角にそれは展示されていた。黒一色で描かれた人物、人間、否、魔、それとも幻? 一目見るなり、まさに目は釘づけとなり、下腹部のあたりを何者かに抉り取られるような、みょうに激しい動揺を感じ、その場に立っていることさえ辛くなる、ある種、近頃没頭している気功の快とは真逆の感覚、と言っても決して不快なのではなく、むしろ絵に見事に体全体を襲われてしまった、というのがもっとも近いかもしれない。</div><div><br /></div><div> 題名は、齋藤隆『ドラマ(地の巻)』。一人の男の体からふわりと湧き出るような、これらはその分身なのか、様々な面を持つ人格というものなのか、それとも罪穢れ、あるいは業、そんな名前などどうでもいい、そのうち、描かれた男はまさにこの自分なのだと見せつけられている気がした。</div><div><br /></div><div> 「人間が生きてゆく中でつかめるような物の本質、そいうものを表現したい」との画家の言葉を読んだ。</div><div><br /></div><div> 人間として生きるとは、醜いことか、それともほんのわずかでも美しいと言える一瞬はあるのか、その一人として今日まで生きながら、確たるものは身の内のどこにも見当たらない。言えることはただ一つ、こうして動揺する生き物であることぐらいか。それは恥ずべきことか、それとも至極当然なことなのか、とにかく気づかない方がよかったとでも言いたくなるけれど、まあひと息つきなさい、とでも画家に言われているように、見てしばらく時間を置いたせいか、不思議にも今になって安堵のため息が漏れ出る。</div><div><br /></div><div> 宇宙のスケールには比べようもないほどに、人の一生など芥子粒にもならない実に閃光のようなもの、そうして須臾の間でも光り輝くならまだしも、黒い男と同様に透けて、怪しく、軽々しく消えてゆくような人生を生きている者は、だからこそ、その実態を自らにだけは明らさまにし、描けないなら、もう一度撮り始める、画家のように孤高を生きる甲斐性はない、ましてや力不足は否めない、今はただ、この動揺を、むしろ誇りとすべきか、紛れもなく生きていたではないかと。</div><div><br /></div><div> それにしても、この静かなる迫力、無言の画家が見つめているまなざしの彼方に本質のようなものがあるとして、では本質とはなにか、人は幾重にも自らを重ねながらすぐにでも消えてしまう、では宇宙とはなにか、天体でさえも何十億年の長きにわたる生涯を終えるという。わからない、何一つ、わからないから旅をし表現もし、人は、黒く滲んで生きてもゆく。</div><div><br /></div><div> 題はなぜ、ドラマなんだろう‥‥‥、</div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div> </div>マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-14487314900932397832020-11-10T13:55:00.004+09:002020-11-10T16:28:47.152+09:00夢とか希望とか<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgRnPDfG4fcidosqgtIosDszza6OB_RHKM917oTCFBBqPVC9NFepAIukT96gGtLYpqH2UFtOfmdhLu4ZrCaxWYPLv5BF1rG-RWG7dYWRd4XZleYv0wPDQmJF5YbYWZHz0skm2Drrt2OUw/s825/050523Dsj3541.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="545" data-original-width="825" height="422" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgRnPDfG4fcidosqgtIosDszza6OB_RHKM917oTCFBBqPVC9NFepAIukT96gGtLYpqH2UFtOfmdhLu4ZrCaxWYPLv5BF1rG-RWG7dYWRd4XZleYv0wPDQmJF5YbYWZHz0skm2Drrt2OUw/w640-h422/050523Dsj3541.jpg" width="640" /></a></div><br /> <p></p><p><span style="font-family: inherit;"> <a href="http://kazesan3.jugem.jp/?eid=47#comments" target="_blank">懐かしいブログ</a>を見返した。あのころは天真爛漫、などというよりあっけらかんと能天気なただの凡夫で、今はニヒリズムに浸って楽しんでいるようなただの凡夫。それでも読んで思い出したことがいくつかあって、その筆頭は、友、だろうか。この人生の友人は数少ない、そして少ないからこそ、一人一人の友との思い出が蘇ると、今でもその日々で感じていたことやシーンが、まるでスクリーン上に再現されているかのように鮮やかに心の目に浮かぶ。</span></p><p><span style="font-family: inherit;"> この一二日、夢とか希望、あるいは願い事という、おそらく人間しか持ち合わせていない、心なのか頭なのか、とにかく精神活動の薄っぺらさについて考えている。それが薄いのはこの凡夫の特質なのかもしれない、けれど私的にはとても重要な、命まで賭けたはずの願い事が叶わなかった現実を生きているのは間違いなく、夢や希望なども含め、実現しないことは案外多いだろうと推測するしかない。要するに一見前向きで積極的に思える夢などは、ただただ描いているだけなのではないか、と少なくとも自分自身についてはそう言える。</span></p><p><span style="font-family: inherit;"> たとえば、世界平和。軍需産業の経営者でもないかぎり世界平和を望まない者なんてほとんどいないだろう。それを夢として願うことはおおいに結構だし、だれもが是非とも叶えたい夢のひとつだろう。人類が誕生してのち今日までの長年月、では平和な時代はどれほどあったんだろう。だから不思議で、夢とか希望、願い事の類がどうにも不確かな、まさに見ているだけの薄っぺらな夢なのではないか、と。</span></p><p><span style="font-family: inherit;"> 重度障害を背負った初めての国会議員の一人、木村英子さんは、政治家としての活動を振り返った「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=iGSx1y5PSoU&feature=emb_logo&fbclid=IwAR3BAF1gasGOdQ50ErYRtw_R50sLC-wmooxo7tovCX7wew4w1cw82EEBES8" target="_blank">一年の軌跡</a>」という動画の最後で、こんな夢を語っている。</span></p><p><span style="font-family: inherit;"> <span face="system-ui, -apple-system, system-ui, ".SFNSText-Regular", sans-serif" style="background-color: white; color: #050505; white-space: pre-wrap;">「自分から社会参加して、自分が社会の一員として、可能性を活かしながら、役割を持っていくということは生きがいにつながると思うんですよね。誰でも社会に必要とされたいって思っている‥‥(中略)‥</span><span face="system-ui, -apple-system, system-ui, ".SFNSText-Regular", sans-serif" style="background-color: white; color: #050505; white-space: pre-wrap;">‥</span><span face="system-ui, -apple-system, system-ui, ".SFNSText-Regular", sans-serif" style="background-color: white; color: #050505; white-space: pre-wrap;">これからの障がい者のひとには、地域に出てきて自分は迷惑な存在なんじゃなくて、社会の一員として構成員の一人として必要なんだっていう社会が実現できたら、本当にそれが私の夢ですね。」</span></span></p><p><span style="font-family: inherit;"> この夢は是非とも応援したい。彼女自身がその夢に向かってたゆまず行動している、その姿に凡夫でも度々感動している。夢は叶わないかもしれないのに、その夢を語る木村さんの微笑みを見て、その美しさに感動もしている。</span></p><p><span style="font-family: inherit;"> そして思う、夢は描くというより、描いて叶えるというより、生きるものなんじゃないか。</span></p><p><span style="font-family: inherit;"> はじめに掲げた懐かしいブログの頃、なんとなく夢見心地の毎日だったような気が、今になってしている。いいや、今日までずっとそうして暮らしてきたのかもしれない。何をやっても中途半端で、深まりのない、宙ぶらりんなこの人生を木村英子さんなら一笑に付されるだろうか、いいや、もしかすると、羨ましいわ、などと微笑んでくれるかもしれない。</span></p><p><span style="font-family: inherit;"> ではこの凡夫は、木村さんのように、夢を生きてみる、という風に切り替えてはどうだろうか。かなりハードルの高い技に思える、まずは夢見心地ではなく、生きるための夢を描き、そうして真剣にその夢とともに生きる、書くほどにハードルが高くなる。</span></p><p> 生きるということは、友や夢に出会うこと、かもしれないと、ここまで書いて感じている。それも数でなく、深みのある出会いがいいに決まっている。夢はまた実現するか否かの結果ではなく、それを生きながら、その先に、より大切な何かがあるのだろうと想像できる。</p><p> この現実で生きていることじたい、夢のように儚いものなのかもしれなくて。</p><p><span style="font-family: inherit;"> </span></p><p><span style="font-family: inherit;"><br /></span></p><p><span style="font-family: inherit;"><br /></span></p><p><span style="font-family: inherit;"><br /></span></p><p><span style="font-family: inherit;"><br /></span></p><p><span style="font-family: inherit;"><br /></span></p><p><span style="font-family: inherit;"><br /></span></p><p><span style="font-family: inherit;"><br /></span></p><p><span style="font-family: inherit;"><br /></span></p><p><span style="font-family: inherit;"><br /></span></p><p><br /></p>マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-51773953424847517292020-10-26T16:59:00.002+09:002020-10-26T17:07:58.926+09:00山を歩く<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEii28qfYewY9myhSYEvYLb2SecLXSw09ZAnQc6P2hmjEKzYRBTWiiS00DHqCJfo0i8Kvj5lxRhigzZCBvoMmda_N3U164Cn0OsnsEprxkMznhOKNDs9o9ARIBlAdvdPvuCbZC3Kuno6HA/s2048/201015-5j2088.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1365" data-original-width="2048" height="426" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEii28qfYewY9myhSYEvYLb2SecLXSw09ZAnQc6P2hmjEKzYRBTWiiS00DHqCJfo0i8Kvj5lxRhigzZCBvoMmda_N3U164Cn0OsnsEprxkMznhOKNDs9o9ARIBlAdvdPvuCbZC3Kuno6HA/w640-h426/201015-5j2088.jpg" width="640" /></a></div><p><br /></p><br /> 千葉の友と二人で歩いた白山、これで何度目か、すっかり息が合って、とはどうやら思い込みだったようで、高山という自然はいつも優しく穏やかに受け入れてくれる訳ではなかった。二人ともそれなりに準備を重ね、ある程度の自信を持って臨んだものの、設定したルートはどうやら体力の限界を超えていた。こうして改めて写真を見つめると、背中の荷がかなり大きく重そうで、中身には避難小屋で使うシュラフにマット、衣類に食器、水や食料、友はなんと、山では野菜不足だからねと手作りのピクルスまであれこれと、優しい心遣いの重量ははかりしれない。<p></p><p> 初日のゴールはチブリ尾根避難小屋、予想外のスローペースで日が落ちてからの到着が見え出し、山岳ガイドをしている山形の友ならこんな時どうするだろうかと考えてみた。思い浮かんだのは、単独でゴールへ、空身で引き返し同行者のザックを肩代わりしてやるその姿だった。即実行。</p><p> 山歩きは、時に苦行で、それでも一歩一歩と歩を進めなければ決してたどり着けない修行のようでもある。好きで登っていることも、美しい周りの風景もすっかり忘れて、相棒はなんとも悲しくなっているかもしれず、そんな想像をめぐらすと、珍しく心配や不安が先行してしまい、己れの明らかな認識不足が悲しくて、悔やまれた。</p><p> 山を舐めている訳では決してない、ただし想像力が足りない。個々のコンディションを含め総合的な視点で適正な計画を立てるための、意識しての経験が圧倒的に足りない。山岳ガイドの力量たるやどれほどのものなのか、よくわかった。</p><p> 山を下りて、友は今どんな気持ちなんだろう。もう登ろうと言ってこないかもしれない。それともまたまたリベンジ?いずれにしても、山は征服するものだろうか、ほとんど白山しか登ったことはないものの、一度足りとも征服や踏破などと挑戦するような気持ちになったことがない。</p><p> ゆっくりと、ゆっくりと、どこまでも時々の体調に合わせて、ゆっくりと歩く、空を見上げ、足元を見つめ、大気を胸いっぱいに吸い込む、たぶん山という手のひらの上で遊ばせてもらっている、決して無理のない計画の下でこそ、それらがかない、味わえること、しみじみと。</p><p> それにしてもこの後ろ姿、かっこいい!</p><p><br /></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjT-NWWEdTk5l5B1JONE5XoadrIXn309ot8-rrcftYtyPhd1WNGNeiYXB1CKMcwPngZ371jvZyw-flUsB9EvyjrWqI8_WINjeDFI5C3j4i-41ijcmrGGoJpj7uxgH77eCONH-XmiPQAEw/s2048/201015-5j2095.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="1365" data-original-width="2048" height="426" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjT-NWWEdTk5l5B1JONE5XoadrIXn309ot8-rrcftYtyPhd1WNGNeiYXB1CKMcwPngZ371jvZyw-flUsB9EvyjrWqI8_WINjeDFI5C3j4i-41ijcmrGGoJpj7uxgH77eCONH-XmiPQAEw/w640-h426/201015-5j2095.jpg" width="640" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><p></p>マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-63731474926002529832020-10-25T17:00:00.008+09:002020-10-25T17:14:20.939+09:00岩の愛、人の愛<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgGIMg9knEDkfSebjyoL4ZqSm-QA_oXqNXfCE5dNayqUAorcqh5CCO1IOBTvPv8ihWKfx_87mEUWwUF9nMAWpQjrVuPo9tjGjGS3zooL449E_qLAl7xao6EDbO2hGJpw49OfxRauTu79A/s825/201002-5j1989.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="550" data-original-width="825" height="426" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgGIMg9knEDkfSebjyoL4ZqSm-QA_oXqNXfCE5dNayqUAorcqh5CCO1IOBTvPv8ihWKfx_87mEUWwUF9nMAWpQjrVuPo9tjGjGS3zooL449E_qLAl7xao6EDbO2hGJpw49OfxRauTu79A/w640-h426/201002-5j1989.jpg" width="640" /></a></div><br /> <p></p><p> 『心身の神癒』の第一話、ほぼ冒頭に「愛は鉱物における親和力である」という一節があり、月明かりの白山の頂で過ごしながら、山というより、まるで取り憑かれるように、圧倒されるばかりの岩ばかり見て、この言葉を思い浮かべた。白山は活動度が低いとは言え、1659年の噴火を最後にした活火山の一つに数えられている。御前峰山頂に浮かび上がる岩にふれると、冷たいはずのその肌に温もりが感じられるような、不思議な気分にさえなる。硬い鉱物がどのように形成されたものやら、想像すら届かないけれど、風雨に晒され、雪に埋もれながら長い年月を生きている、と言っていいのかもしれない、鉱物もまた愛の一つの現れであるなら。</p><p> 愛とは、などと言葉を並べたところでどうにもならない、鉱物にある親和力が人にもあるのだと思いがおよび、どうやら愛は生きるものなんだろうと、己れの出来不出来はともかく確信のようにして感じとることができるのは、やはり白山の岩と一晩過ごしたからだろうか。</p><p> 明け方までまだしばらく時間があり、疲れて、仰向けで横になるのにちょうどいい岩に出会い、ゴロンとするや、一気に眠りに落ちてしまった。数分にも満たない時間だったろうに、ブルっと震えて目が覚めゾクゾクと寒気が治らない。眠るんじゃない、と顔をひっぱたくシーンを映画か何かで観た、あれはこれのことだったか。凍傷の危険と隣り合わせの極寒の高山などとは比較のしようもないが、未明の白山にひとり佇んでいることを十分に感じ、ちょっぴり心細くなった。その岩の横で、熱を生み出そうと、全身を上下に左右に思いっきり振動させた。十分ほどか、ようやく落ち着き、もう一度岩を見つめ直す。</p><p> 噴火で吹っ飛んできたんだろうか、大小様々な岩があちこちにどでんと居座っている。白山は愛でできている、そう思うと、このまま眠り込んでもいいような気もして、でも、ご来光を待つのはやめて帰ろうかなと思い出した。岩に愛、人にも愛がある、下山の道へと歩き出した。「人にあって愛は愛情となって表れる。」</p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p> </p><p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><br /><p></p>マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-81410742101239836882020-10-23T17:53:00.006+09:002020-10-23T18:02:29.724+09:00名月と白山<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhXOJdvRv9yKp1WhAP1BInBMFWD1ueySjav65RO5P1cIrsrHi16QKxT5Jou2ZGW_tG6crh9JGApC5NXTEKNa1m3NzrqRnoTLfR4asZ8tu5tX1QcpbjYE1Ax9bU7cPJmK79BSX14aaf0vg/s825/201001-5j1941.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="550" data-original-width="825" height="427" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhXOJdvRv9yKp1WhAP1BInBMFWD1ueySjav65RO5P1cIrsrHi16QKxT5Jou2ZGW_tG6crh9JGApC5NXTEKNa1m3NzrqRnoTLfR4asZ8tu5tX1QcpbjYE1Ax9bU7cPJmK79BSX14aaf0vg/w640-h427/201001-5j1941.jpg" width="640" /></a></div><br /><br /><p></p><p> 仲秋の名月の宵、数年ぶりに白山の頂を歩いた。ところどころ風が冷たく吹き荒れ、これがこの人生で最後かもしれないと挫けそうになり、岩陰に入ると正反対に無風状態で、居眠りしそうなほど安穏として、ふるさとの霊峰は実に気まま、佇む人は吾一人ながらその気ままな大自然に抱かれる気分を分かち合う相手は、意外にも間近に感じられた街灯り、どこの町だか、食卓を囲む家族団欒、夜に働く人もいて、愛する人を喪い泣き崩れているシーンまで浮かんできた。霊峰白山は、こうしてすべての人の営みをいつも見守っているのだろう、そうとしか思えなかった。</p><p> ピンホールカメラで撮ってみたい風景の中で、これでは露光時間は一時間でも足りないだろうと、セットした三脚の傍で気功でもしようと試みたものの、どうにも気分が乗らない。わざわざ練功して大自然の気と交流するおかしさというのか、すでにその深淵なる気に抱かれているではないか、なんとなれば溶け込んでしまえるほどに。</p><p> 気功とは、日常でこそどうやら必要なようだ。雑然とした暮らしの中でこの白山という聖域を想い、その気とふれあう、そのために今このひとときの味わいに浸りきる。なんとありがたいことか、頂で感じるのと同様に、常に人は見守られている。</p><p> ずっとこのまま山に居たい、ここで生きていたい、もしもそうなったとしたら、どんな気分だろう。仙人になりたいとは思わないが、世渡りなどこれっぽっちも望んでいない。だからだろう、向上心というものをほとんど持ち合わせていない、なんとなく、生きてきた。そう思うと泣けてくる。白山、あなたのせいだ。</p><p> それにしても日常からだととても遠くにある白山が、今これを書きながら不思議なくらいに近くに感じられるのは、やはり見守られているからだろう。気功は、その気になることを助けてくれる。</p><p>*</p><p> 人間はなぜほかの生き物とちがうんだろう。悩み、苦しみ、泣いて、悲しみ、夢とか希望が必要で、働き稼いで、利害損得を計算し、奪い合い、虐げ、あげく積極的平和というものまで掲げてしまう人間の一人であること、山にいると、ことに名月の頂きは、自分をも見つめる本当に特別な時間になる。</p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p>マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-56848668156336453932020-10-22T12:13:00.004+09:002020-10-22T13:42:00.374+09:00白山にて、星々とともに<p></p><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEihBKGwUevb3Ts_OvYGs_wQeI6h42z7CiMm8OT8XLNGrO-nlYfWT7HEnOvV4DHNhO0t5FjvifEz7J-w1RAojI17L0-5m2eKih1-4no6Me5BkjiNrp4JkjI7zwXA6wRYv7Xt-nxh5qOITg/s825/201015-5j2135.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="550" data-original-width="825" height="426" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEihBKGwUevb3Ts_OvYGs_wQeI6h42z7CiMm8OT8XLNGrO-nlYfWT7HEnOvV4DHNhO0t5FjvifEz7J-w1RAojI17L0-5m2eKih1-4no6Me5BkjiNrp4JkjI7zwXA6wRYv7Xt-nxh5qOITg/w640-h426/201015-5j2135.jpg" width="640" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> </div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> 朝まだきの公園などで気功しながら過ごすようになり、晴れた日は星々を仰ぎ見る楽しみが生まれた。これはまさしく、実に楽しく、愉快でさえある。高齢者の仲間入りをする世代になるまで知っていたのは北斗七星やオリオン座ぐらいで、最近これにようやくシリウスが加わり、その名前を口にして手を合わせてみたり、向き合って練功したり、まるで懐かしい旧知の友に出会ったような小さな感動を味わっている。星々と語らう、と言ってももちろん一方的な会話でそれも実際に声を発するわけではないから、語らうというのは当たらないかもしれないけれど、二時間あまりも星空の下で過ごす気分はやはり語らうが近い。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> 先日、千葉の友と二人で白山は南竜ケ馬場に泊まった折、ボランティアとして山小屋を閉じる作業に当たっていた男性がご親切にも星の撮り方を教えてくれ、改めてカメラを据え、早速そのように撮ってみた。ISO感度は800、絞りf3,5、露光時間は10秒だったか15秒。確かに天の川まで綺麗に写り、若干の補正を加えて上の写真ができあがった。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> 下の写真は、その前に自己流で撮っていた一枚。ISO感度は400、絞りf8、露光時間は10分ほど。カメラや三脚以外の便利な小道具は持たないので、レリーズボタンを人差し指で押さえたまま動かずにじっと星空を眺めていた。人の目に止まっている天体は、実はこうして北極星の周りをぐるぐると廻って動いていることを、誰もが何かで見聞きして知っているわけで、それでもとても不思議な気分になるのはなぜだろう。星々のこと、ましてや宇宙のこと、それに地球のことにしても、まだまだ人間の力では到底及ばない世界が広大に、それこそ無限に広がっている。不思議で当たり前、なぜ毎夜変わらずに星は運行しているのか、それも何億光年も前に発せられた光を目の当たりにしているなんて、いくら想像してみても、不思議でたまらない。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj9TD-SJYntbWm5Pf7WOW8EmcqQzhoQds4ZoLqkLPmPeTcpwmOo_dFVB4Qgkm9F8eQFxiHi46SP1C3UIx7AqoSGJUUKUTFCpzk_hM9AolEYuQTOh6dPzYhcyDE-wgtBPKU90Mc8om7UOg/s825/201015-5j2129.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="550" data-original-width="825" height="426" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj9TD-SJYntbWm5Pf7WOW8EmcqQzhoQds4ZoLqkLPmPeTcpwmOo_dFVB4Qgkm9F8eQFxiHi46SP1C3UIx7AqoSGJUUKUTFCpzk_hM9AolEYuQTOh6dPzYhcyDE-wgtBPKU90Mc8om7UOg/w640-h426/201015-5j2129.jpg" width="640" /></a></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> 星々とともに過ごすひとときを持つようになり、大きく変わったことが一つある。心の中の見えない変化だから実証のしようがない分、この内側で感じ取れる領域の広がりは日中にまで残り、やがては再び訪れる夜にも、つまりは連日連夜の変化ということになり、もはや変化というより、これが人間という存在なのかもしれないと、星々が教えてくれたような気にもなる。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> 何をやっても中途半端で、何を描いても決して最後まで到達しない、このまま実にいい加減な人間で終わりそうだと、自分でも分かるようになった。それでも気功ぐらいは死ぬまで続けよう。そうして星々を仰ぎ見ることは、星々に見守られていることでもあるのか、内側で広がるものの一つは、どうやら安心、というものかもしれない。それもかなりスケール感のある安心で、雑然と繰り返しているばかりの日常の営みをも悠然と、優しく包み込んでくれる。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> 『風の旅人』を編まれた佐伯剛さんがシェアしていた日野啓三『書くことの秘儀』の一文を改めて読み、この広がりもまた、真似事でいいから、その一つであってほしいものだと感じ入る。</div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"> <span style="color: #38761d;">「聖なるものは天国でも神でもなく、生命の根源の力に根ざしながら、いつでもどこでも、相対的でしかないこの現実を超える世界を思考し幻想し志向しようとする、われわれ自身の魂の運動そのものなのだから。」</span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><span style="color: #38761d;"><br /></span></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><br /></div><p><br /></p><p><br /></p><br /><br /> <p></p>マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-34891116069706197812020-03-07T11:16:00.003+09:002020-03-07T16:57:11.027+09:00種<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhm1ho5qn44FW6dSZ6OTqkSKMPXc0isBFdLhQrxixMOZ_ojZ5pM8athFz2-NO7lqiTKpE5WzJR9oJ-YMviWc1whf1QPo1K8xKM4fiMXyZBcoV6d472wAggu0sRY_gX3MaQY2BQNpblBeg/s1600/Dxc1376.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="427" data-original-width="640" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhm1ho5qn44FW6dSZ6OTqkSKMPXc0isBFdLhQrxixMOZ_ojZ5pM8athFz2-NO7lqiTKpE5WzJR9oJ-YMviWc1whf1QPo1K8xKM4fiMXyZBcoV6d472wAggu0sRY_gX3MaQY2BQNpblBeg/s1600/Dxc1376.jpg" /></a></div>
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カメラマンのかたわら一年半はたらいた職場の様子を撮影することになり、この数日、数カ所の事業所をまわってメンバーのみなさんの仕事風景を間近で見つめた。就労継続支援事業のなんたるかも知らず飛び込んだ世界は、障害とともにある利用者が働く場で、スタッフはその指導などサポートをする立場、ところが手慣れたベテランもいれば、この場に来るまでに豊かな経験を積んだ人も多く、年齢も資質も様々、支援するなどとお世辞にも言えないこの凡夫は教わることの方がずっと多い日々だった。<br />
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撮影の最後は、水耕栽培施設。すっかり仲良くなったメンバーたちと二時間あまり過ごし、いつものように丁寧にそして常に一所懸命取り組む姿を角度を変えてたくさん撮った。これは仕事というより、彼らに贈ることができる最後のプレゼントのつもりで、だからささやきかけるように撮りながら、心の交流をも楽しんだ。<br />
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葉野菜が育つ大きな温室はほどよい温度と湿度に調整され、空気も雰囲気もとても穏やか、小さな種を蒔いたり、生育に合わせて植え替えしたり、大地に代わる発泡スチールを洗ったり、どの作業でも微笑みを浮かべているように静かな姿を見ていると、仕事というより、たぶん意識などせずとも植物と和やかに交流しているんだろうと思えた。<br />
<br />
普段はホテルのバスルームを清掃する施設外就労のスタッフとして出ることが多く、施設内で内職的な仕事に従事するみなさんとはほとんど一緒にいる機会がなかった、という関係でも、そこはカメラが本領発揮、穏やかな場の気も手伝って、愛くるしい表情や仕草を何枚もとらえることができた。あっちゃんがこんなにも可愛いまなざしで微笑むなんて、せいや君がこんなにまで透明なまなざしで見つめていたなんて、ファインダー越しで初めて気づくようなそれぞれの表情に出会い、本当にみんなのことが大好きなんだなあと信じられた。<br />
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この就労継続支援のA型事業所は一般就労への橋渡しが一つの大きな役割で、利用者のみなさんはそれぞれの状況や調子を見ながら経験を積み、事業所は当然のごとく効率や収益を重要視している。パートタイマーのスタッフには、ことにずっとフリーで気ままにやってきな者には、どうにも息のつまる場面が多く、何かを改善する力もなく立場でもないくせに憤りだけ抱えこんでしまう好ましくない心持ちになってしまったものの、笑ってほんのちょっぴりでも会話し、時には肩を揉んであげたり、調子はどう?と小声でささやきあったり、そんなふうにみんなと居ることはほかのどこにもない幸せを感じるひとときだったんだと、今になって痛いほどに感じている。<br />
<br />
蒔いた小さな種が芽吹くときに湧きあがるなんとも言えない幸せな気分と、これはとてもよく似ている。人の心の中にはきっといろんな種が宿っている。ともに過ごす場が調い心と心を交わすとき、その種は微笑みとなり歌や踊りにもなり、目に見える形で外へと表れる。これこそ人にある、優れた生き物としての、表現というものではないのか。水耕栽培施設から戻っての休憩時間、微笑みを交わし合う間柄になれたなのか、あっちゃんがゆらゆら揺れて天にも昇るように踊って、また微笑んでいる。年甲斐もなくなんだかその大きな体に抱きつきたい気分になった。<br />
<br />
ありがたいなあ、みんなが教えてくれた、この幸せ気分、ほんの少しでも真似して天使みたいに微笑むじじいになっていけるだろうか。<br />
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場はとても大事だ。働く場であろうとどこであろうと、種を育むことを最大の使命とする。<br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-3503245823393041172019-09-12T10:37:00.000+09:002019-09-12T10:56:26.691+09:00十年目のプレゼント<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjZNad8arMnN4d0mtWgZ8Ipt-DfmLz48fcG_I6IeCV9GcCTjSbGmhGTPkGh6KxvM2DYvImGOOYPZkFjDgLBZef-_mRGYeyl634ch8aNZboYR3C4QYctG8cr0E1zW1g5o8MauL-6VeBLMg/s1600/Dxb7937.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="825" data-original-width="550" height="640" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjZNad8arMnN4d0mtWgZ8Ipt-DfmLz48fcG_I6IeCV9GcCTjSbGmhGTPkGh6KxvM2DYvImGOOYPZkFjDgLBZef-_mRGYeyl634ch8aNZboYR3C4QYctG8cr0E1zW1g5o8MauL-6VeBLMg/s640/Dxb7937.jpg" width="425" /></a></div>
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何人かの親しい仲間が共同で贈り物をする話はよくあるだろうが、その贈り物が結婚祝いの記念の無料撮影券というのは滅多になさそうだ。ましてご指名を受けたカメラマンとなり、撮影料として三万円をすでにいただき、それが十年も前のこととで、いい歳をした頃合いになると、このまま撮らずに終わるのではと気になって仕方がなかった。モデルの友人に折にふれ催促し、ようやく実現。まるで夢がかなったかのような気分で、撮る方も撮られる方も、幸せな半日を過ごすことができた。<br />
<br />
十年ひと昔とはよく言ったもの、写真の環境を見ても隔世の感がある。今の気分からするとフィルムを詰めたローライでじっくり向き合っても良さそうなところだが、仕上がりはネットを介して作るアルバムとして設定し、お二人の希望にそったロケーションで、いろんな表情をパチリパチリとデジカメで何枚も撮った。撮影がどんな風になるのか想像もつかず気になるのはモデルとして当然のこと、抱えていたちょっぴりの不安を思いっきりよく裏切ることができたようで、最終的に手にするアルバムそのものはもちろん一番の楽しみ、さらに撮られる経験もプレゼントとなるようなひとときにしたかった、というわけだ。<br />
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三十度を軽く超えた折からの残暑、二人とも汗びっしょり、それも十年の歩みがあるせいかどんなことも全てが味になるような気がした。別れ際に思いついて、十年を振り返った今の気持ちやお互いへのメッセージを書いてみたらと提案すると、忙しい僧侶の友人は一瞬戸惑いながらも、年内完成なら行けるかも、と承諾してくれた。想像するだけで、なんとも幸せな気分になる。この機会をプレゼントしてくれた福井の友人たちに感謝したいのは、むしろこのカメラマンの方かもしれない。この撮影が当時すぐに行われたなら、到底この展開にはならなかった。せいぜいが二、三枚の写真を台紙に貼るか額装するに過ぎなかっただろうか。これならもう三十万円ほどの価値、十年待った甲斐がある。<br />
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それにしてもこの写真、お二人の今を表しているようで、実に興味深い。日が傾き出し、夫人のふるさとでもある越前の海がキラキラと輝いていた。ここがいいと車を止め、最後のシーンとして収めることができた。気功や整体にも精通している友人は、ちょこんと腰が引けて、それが丹田に力がこもっている姿勢にも見える。朴訥な人柄に惹かれたに違いない、なんとも幸せそうだ。<br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-45540778988489485312019-05-02T10:20:00.002+09:002019-05-02T11:23:33.908+09:00遺影写真を撮ります<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiMqg8vGhNBAmqMhRX0Fbqj37xbGpfdFpUc5wPILuCzXWupVZWa74hUc6UfqJ7OrHWjFsvSlRX-5qxIBAVQnQWzj5a9Xe5wXCY8cTGxO6YQ3vTZULCPUc0UVQhScWaTyGh4F8AQXxy3vA/s1600/121112-5b2161b.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img border="0" data-original-height="450" data-original-width="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiMqg8vGhNBAmqMhRX0Fbqj37xbGpfdFpUc5wPILuCzXWupVZWa74hUc6UfqJ7OrHWjFsvSlRX-5qxIBAVQnQWzj5a9Xe5wXCY8cTGxO6YQ3vTZULCPUc0UVQhScWaTyGh4F8AQXxy3vA/s1600/121112-5b2161b.jpg" /></a></div>
今年は、いよいよと言うのか、待ちに待ったとでも言ってしまいたいくらいの、高齢者の部類に組み込まれる世代となり、単に年を食っただけの話でも、なぜかその資格を得たような気分で、念願かなって遺影写真家を名乗ることにした。温泉旅館の広告撮影や昨年からパートタイマーとして始めた就労継続支援事業のスタッフの立場があり、おまけに趣味程度の野良仕事に、何がしかのもの書くという夢までたずさえており、これでもかとういうほどごった煮状態の日常にあって果たして遺影写真の専門家になれるものか、我がごとながらふらふらと宙ぶらりんな残生を、今日までと同様に歩くことになりそうだ。<br />
<br />
掲載のこの一枚の写真を撮らせていただいたあの瞬間に、遺影写真という分野が明確に目の前に現れた。当時の日記にその思いが滲んでいる。<br />
<br />
「いつの日か遺影写真を撮りたいと思うようになって随分と経ってしまったのは、命の何たるかを知らないで到底撮れるものではないと思っていたから。その心の重い扉を開けてくださったのが、この渡部さんだった。建具屋の三代目として生涯家業を営まれた。ご子息の結婚式を撮影した翌朝、撮らせてもらいたいと胸の鼓動を抑えて願い出た。ああ、いいですよ、意外にも軽く答えられるや、ゆっくりとパジャマの上着を脱がれた。ベッドの上で過ごす時間が一日の大半を占めているようで、弱々しい老人の姿を前に、撮りたいと思ったはずの気持ちなど跡形もなく消えてしまった。<br />
撮影前のほんの数秒間、目と目を合わせた。いきなりファインダーを覗くなど無礼なことだと無意識にでも感じたのかもしれない。老いとはどうやら枯れて行くもののようだ、なのに、あの瞳の奥で鋭く、しかもほのぼのと光るものはいったい何だったのか。フィンダーの中の渡部さんがこの小心者を圧倒し、睨まれた蛙のように、心にもレリーズボタンを押す手にも緊張が走った。職人の魂などと簡単な一言をしたり顔で使うわけにも行かず、長い年月を歩いて来られた果てのその最晩年に出会っているという、ただただ静かな感動に包まれた。」<br />
<br />
あの日から六年ほども経った。だから、ようやく、いよいよという気持ちになっているのかも知れない。相変わらず、命の何たるかなど知る由もなく、職人にも、写真家にも、ついには結局一人前の人間にはなれず、このまま終わることはほぼまちがいなく、切羽詰まって動き出すしかないというのが本音というところだろうか。<br />
<br />
まあ、いいさ。人間に完成や完熟があるとも思えない。<br />
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同じ頃、おやじについても書いていた。<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg9FBphWfm_JFcR_9ibjaGUTEmE6mR6-tqusLjTFuIPw7Rd2VRfDt9whNFlhM_6BSbnxLwuFcdlvOCl5-oRgxXlyNheDZdB9n_gSWYwwr_-_4yHxlNtVlHR7XUs0nReRt0p7MBBANXLrA/s1600/mg100222_5585b.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="450" data-original-width="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg9FBphWfm_JFcR_9ibjaGUTEmE6mR6-tqusLjTFuIPw7Rd2VRfDt9whNFlhM_6BSbnxLwuFcdlvOCl5-oRgxXlyNheDZdB9n_gSWYwwr_-_4yHxlNtVlHR7XUs0nReRt0p7MBBANXLrA/s1600/mg100222_5585b.jpg" /></a></div>
「定年退職後に関連会社の社長職に納まり、仕事一筋と言えば聞こえは良いが、本当に仕事上のつきあいしかなかったようで、今では日がな一日テレビの前に座りつづけ、まるで切り株のような人になっている。それで何の苦痛もな不平不満もないらしく、これが意識してのことならまさに覚醒した人に思える。<br />
昔話を聞いておきたいからと、おやじと最後に飲みに出かけたのはもう何年も前、今ほどの物忘れもなく、いろんな話をしてくれた。軍隊に志願したのは少しでも人の上に立つため、と言いながら伍長止まりで、時折差別的な呼称で隣国を呼んでいたのを思い出す、極々普通のどこにでもいそうなありふれた日本人だった。<br />
県の職員時代に汚職の前科があった。その顛末を聞いておくのは息子の務めだとも思った。『なあに、あれは業者に呼ばれビールを一杯飲んだだけ。あん時の上役が行けと言うから行ったまで、まったく馬鹿な話や、新聞はあらぬことを書き立てたしなあ。』どこか懐かしそうに話したおやじの言葉を息子は信じるつもりだ。世の中の動きなどに何の疑問も感じない、愚直で馬鹿正直な人だったのか、せめてこの世に一人ぐらいそれを誇りに思う人がいていいはずだ。<br />
たまにレンズを向けると、小さくはにかんでみせる。撮る撮られることを通した、これも父子の会話だろうか。」<br />
<br />
その父も、昨夏天へと召されて逝かれた。死者ともなれば、生前には思いもつかなかった敬う気持ちに包まれる。遺影写真にするつもりで撮った縁側での写真が親戚連中に妙に評判が良く、毎日恩着せがましく眺めては、話しかけている。<br />
<br />
写真の力の一つはその記録性にあるが、静止した画像の中から浮かび上がる実に様々な思いがますます見つめる者の想像力を膨らませ、あの世でもこの世でもない、その間(あわい)を埋めるような不可思議な力こそ、唯一最大のものではないだろうか。ことに、遺影写真というより、食卓で何気に撮ったこの一枚のような、生きていることに、ましてや撮られていることなどにまったく頓着しない瞬間に、ああ、あの父がいるような気がしてしようがない。<br />
<br />
どうせなら、撮るために出かける遺影写真の撮影場所でも、お互いに生きていることからほんの少しでも離れられるような時間を過ごしてみたいもの。<br />
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何のために生まれてきたんだろう、死までの刹那、宇宙の営みからすればまさに閃光でしかない塵のような日々の中に、溢れるほどの思い出が詰まっているなんて、夢だろうか、ほんとうに夢、なのかも知れない。<br />
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遺影写真館 言の葉とともに<br />
<a href="https://kazesan63.wixsite.com/iei-kotonoha">https://kazesan63.wixsite.com/iei-kotonoha</a><br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-51217682920168642982019-01-01T16:23:00.000+09:002019-01-01T16:23:19.031+09:00巫女の舞<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWrm1d62DRiEpoG6f9XfA6m5WauEvqedvJ_u6doc6-tIZDmSy13HwzxBT602FIGM5NdyJjwbzuqhWjooL3EuwVQscOHxESsYMqguJzlzwyUtyAW5EUgU-TQ2V-7zgrWlhKS6Ohz9DQKA/s1600/190101Dxb4787.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="825" data-original-width="551" height="640" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWrm1d62DRiEpoG6f9XfA6m5WauEvqedvJ_u6doc6-tIZDmSy13HwzxBT602FIGM5NdyJjwbzuqhWjooL3EuwVQscOHxESsYMqguJzlzwyUtyAW5EUgU-TQ2V-7zgrWlhKS6Ohz9DQKA/s640/190101Dxb4787.jpg" width="426" /></a></div>
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巫女になった孫娘の鈴のお祓いを</div>
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何度も浴びて、今日この日から</div>
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何ひとつ怖れることなく</div>
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安心して暮らそうと決めた元日。</div>
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マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-50385614486453555372018-12-29T17:49:00.000+09:002018-12-29T17:58:17.235+09:00清浄な人<div class="" data-block="true" data-editor="aqhaf" data-offset-key="35rh3-0-0" style="background-color: white; color: #1c1e21; font-family: system-ui, -apple-system, system-ui, ".SFNSText-Regular", "hiragino kaku gothic pro", meiryo, "ms pgothic", sans-serif; font-size: 14px; white-space: pre-wrap;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgCmgVI0AjDsiWOptsoThYBMlgws607eeYvh_v_H6DSehcXALYNUt7V05qeOj1PkzlIuR6mqErakx6ksTvXcbAYNUsnfuXirQfGRAJHcoPQeLu6SA7NWLVZkgNMmZb2Nnv3vO7QLKQHKA/s1600/171206-5g8993.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="644" data-original-width="965" height="425" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgCmgVI0AjDsiWOptsoThYBMlgws607eeYvh_v_H6DSehcXALYNUt7V05qeOj1PkzlIuR6mqErakx6ksTvXcbAYNUsnfuXirQfGRAJHcoPQeLu6SA7NWLVZkgNMmZb2Nnv3vO7QLKQHKA/s640/171206-5g8993.jpg" width="640" /></a></div>
<div class="_1mf _1mj" data-offset-key="35rh3-0-0" style="direction: ltr; font-family: inherit; position: relative;">
<span data-offset-key="35rh3-0-0" style="font-family: inherit;"> タイはチェンマイ、ラオスはルアンパバーンでひとときを過ごし、インドシナ半島に俄然興味が湧いてきた。それも都会ではなく、USATOの生地を生産する村々のような素朴な土地を何年もかけて歩いてみたい、などと金ももはや残された時間も乏しいくせに、せめて夢として抱えることにした。</span><br />
<span style="font-family: inherit;"> その南国から帰って翌日、早速もう一つの仕事に従事、就労継続支援事業のスタッフとしてホテルのバストイレ清掃に取り組んだ。この仕事は単純作業の一つだろうか、慣れてくると様々な思いがい浮かんで実に豊かな時間になる。洗面台を磨き、コップを洗い、バスタブをこすり、トイレの隅々に目を配るうち、滞在した羽田やラオスのホテル、USATOのゲストハウスの同じスペースの清掃具合を思い出す。</span><br />
<span style="font-family: inherit;"> 部屋の清掃は、それに打ち込んでみると、見た目に綺麗というだけでは足りないのかもしれない。一見しただけでは気づかない、たとえば鏡や床の隅、敷居に当たるステンレスやガラス扉にこびりついた水垢、トイレの蓋の裏、排水溝の網の目、点検する箇所は小さなスペースといえどあれこれとあり、そのどれもが完璧に美しくなる時、清掃したのではなく、浄化と言っていいような気がするほどに満ち足りる。</span><br />
<span style="font-family: inherit;"> それでまた思い出したのが、ルアンパバーン郡のある村、あれは公民館のような建物でそのトイレの簡素な作りと、水で満たされた小さな風呂桶のような囲い。排泄した汚物を囲いの中の水を桶で汲んで流すだけ、床もスリッパも半ば水浸し、どうにも綺麗とは言い難かったが、けれど慣れれば多分これ以上何も必要のない美しさがあったのかもしれない。水浸しと思ったのは足が濡れる不快感を避けるためだろうが、村の誰もがみな裸足で草履、上り框の下には厚い布製のマットがあり、何不自由もなく部屋に入って行けるわけで、南国の自然に合わせた自ずからの清らかなつながりあると言えなくもない。</span><br />
<span style="font-family: inherit;"> 人の暮らしは、文明開化のなれの果てにたどり着いた贅沢な家や環境にあるのだろうか。清める、浄めるという観点が清浄ではない状態をそう為らしめるためにあるとすれば、手を下さなくても清らかな環境をさらにほんの少しの心配りで整えることができるなら、それをこそ人としての美しさと言いたい。</span><br />
<span data-offset-key="tne4-0-0" style="font-family: inherit;"> 清掃は汚れを取り除くだけの話で、清掃しなければ追いつかない過剰な文化からは遠く、</span><span style="font-family: inherit;">清濁を併せ持ちその中で営む暮らしと、それを暮らす村人の純朴な微笑みにふれるとき、現代はとてつもなく大事なものを失ってしまったのではないか、などとつい思ってしまう。</span><br />
<span style="font-family: inherit;"> あの村この村の清浄な人々の笑顔がまた浮かんでくる。人としての大事なものを意識することなく抱えているようなあの笑顔が。</span></div>
</div>
<div class="" data-block="true" data-editor="aqhaf" data-offset-key="tne4-0-0" style="background-color: white; color: #1c1e21; font-family: system-ui, -apple-system, system-ui, ".SFNSText-Regular", "hiragino kaku gothic pro", meiryo, "ms pgothic", sans-serif; font-size: 14px; white-space: pre-wrap;">
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<span data-offset-key="tne4-0-0" style="font-family: inherit;"><br /></span></div>
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マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-613706083933740682018-11-04T15:05:00.001+09:002018-11-04T15:05:58.874+09:00父と母の手で<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjpRJfV_eIS8v-lJA5TvnQwKvNeawbeJeBU9tN-XtpphtO2FK-wVWfhvCUDYaRlcURZ8Atl6PieKTKd_HpXU1TN1h8ksLokQjr8WomHKngNrsj8Bxr_pZ33CI2ggt494QLZqoWixntT4Q/s1600/D0027B-1808.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="650" data-original-width="645" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjpRJfV_eIS8v-lJA5TvnQwKvNeawbeJeBU9tN-XtpphtO2FK-wVWfhvCUDYaRlcURZ8Atl6PieKTKd_HpXU1TN1h8ksLokQjr8WomHKngNrsj8Bxr_pZ33CI2ggt494QLZqoWixntT4Q/s1600/D0027B-1808.jpg" /></a></div>
<br />
<br />
明日九十二歳を迎えるはずだった親父の遺影の前で過ごす短いひとときが、この頃もっとも大事にしている日課になった。生きている間はほとんど関心のなかった父という存在が日毎に重みを増してゆくようで、死者との語らいというほどではないけれど、きっとこの先も戸惑い多き愚息を導いてくれるような気がして、根拠もなく大いなる安心感に包まれている。<br />
<br />
結局一月半の入院生活の果てに、肺炎を患い、あっけなく天へと召されて逝かれた。膀胱癌のために施した放射線治療など受けずに家でのんびり暮らしていた方が、親父にとってどんなにか快適だったろうにと悔やまれる。あれこれ整えた介護生活の準備が全て不要になり、いくら毎日病室を訪ね見舞ったとしても、家族として何もできなかったことを省み、それが人間には普通にあることなんだろうと思ってしまう哀しみを抱き続けてもいる。<br />
<br />
ことさら意識していたわけでもなかったが、最後の時を過ごす父と母が二人並んだ姿を何度か撮った。死というものがほんのすぐそこにあり、なのに死別したあとのことなどちっとも想像できないまま、ファインダーを覗き込み、この二人の間に生まれ育てられたことをたまゆら思い出し、今こうして身の回りのすべてがゆっくりと終わってゆくのかと、心でため息をつきつき、それでいて軽口ばかり叩く自分がなんとも情けなかった。<br />
<br />
亡くなる十日ほど前、二人の手を重ねて撮らせてもらった。どちらもシワとシミだらけの手が歩んだささやかな歴史を表しているとしたら、きっとお袋はこの写真をもっとも気に入ってくれるにちがいない。年齢の割りは驚くほど骨が丈夫だったんですねと、火葬場の係が漏らした言葉で、よろよろしながらも最後までしゃんとしていた姿が鮮やかに蘇った。それをわずか十九で嫁いだお袋が、やがては文句ばかりこぼしては細やかに支えてきたということになる。<br />
<br />
ねんねがねんねを抱いとるわいと茶化されたという母の背中のその息子も、早耳順。どこにでもある親子でも、ここだけにしかないことが、今はよく感じられる。同居する家族の誰か一人が亡くなってはじめて感じているこの味わいを言葉にしてみたい気もするが、どうにも格好ばかりつけることになりそうで、今はやめておく。けれど、いつかちゃんと言葉にして残しておきたい。<br />
<br />
先日、夫を亡くして八年になる娘がメールで送ってきた言葉をまた思い出す。「おとうさん、人生訓を垂れるのもうやめて。私は私の経験を頼りに生きていく。」何を偉そうにとも思ったが、自分の頭と言葉で考え行動する人になってほしいものだと心がけて見守った子供たちが、しかとそうなっているわけで、むしろまことに喜ぶべきことのようだ。<br />
<br />
言葉で表すことを大事に、けれど、極寒の中でゆっくりと醸造する酒のように何度でも身の内で練り直し、天と地のこのあわいを想像し、今はそこで静かにたゆたっていたい。とても身近になった親父とともに、人生訓などでない、もっとも個人的な作業として。ありがたいことに、好きじゃなかったお袋が、なんだかどうにも愛おしくなってきた。<br />
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マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-70349041393701782852018-07-31T05:29:00.002+09:002020-10-22T14:00:44.457+09:00だんまりと<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhZwHchplZuewvyKNDhji8mJE47wxOrH_XorI4YUMRLCvvBJ0zlpUXmWr0ubnQEPh5RIhSyC6zbFkRQbMUya2hQIQvQvDGOgKghiLf7nO2IhubnPPC_3c1XPgCMLOIZoDYw8erkCfdCwg/s1600/D0025-1804b.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="842" data-original-width="850" height="632" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhZwHchplZuewvyKNDhji8mJE47wxOrH_XorI4YUMRLCvvBJ0zlpUXmWr0ubnQEPh5RIhSyC6zbFkRQbMUya2hQIQvQvDGOgKghiLf7nO2IhubnPPC_3c1XPgCMLOIZoDYw8erkCfdCwg/s640/D0025-1804b.jpg" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
父と息子という間柄をこんなにも意識したことは、互いにそれなりに長い人生を生きながらこれまで一度もなかったような気がする。「よく似てますねえ、そっくりやわ」と中堅どころの看護師が呆れて感心するほど、どうやら側から見ると生き写しというやつのようだ。おやじと一緒にされることを拒む気持ちはないけれど、でも中身は大きくちがうのだと、ずっと思い続けてきたかもしれない。あれこれと考える人を装う息子と、何一つにも関心を示さず、ただ息をして、食べて寝転んでいるようなおやじと。<br />
<br />
軍隊へは自ら志願して入ったと、見合いをする前の青年の話を母がしてくれたことがある。なんでもその方が少しでも出世するだろうと思ってのことだったらしく、伍長という地位に付いた。下には二等兵と一等兵がいたことになるのか、大正15年生まれを誇りにするような妙なところがある、当時の若造がどんな顔して振舞っていたのやら想像もつかない。いよいよ戦地へ派兵されるという直前に敗戦、まだ19歳の頃だ。いつだったかテレビの映像を見ながら“チョンコロ”という言葉をおやじが発した。差別だと知らない無邪気なだけの子供でも、なんとなく嫌な気分になったのを覚えている。戦争そのものをどう考えていたんだろう。期待する答えが返ってくるとは思えないけれど、忘れたわい、なんも覚えとらん、としか言わない今では何もかもが遅すぎる。<br />
<br />
おやじに膀胱癌の診断がくだって以来、人は衰えて当然と眺めているだけだった息子の気持ちにちょっぴり変化が生じ、近所へと花見に連れ出した。おお、きれいやなあと、一言だけ。あとはだんまり、桜花を見ているのか、それとも空でも見上げているのか、親子でもよく分からないことばかりなのは、気持ちも会話もずっと交わしてこなかったつけが回ってきたということか。せめてものことにと、ようやく使い慣れてきた二眼レフのファインダー越しに、こちらも黙っておやじを見つめた。<br />
<br />
本当は生まれ育った小松の街やよく遊んだという梯川のほとりを歩いてもよかったのに、もう少しあったかくなってからと日延べしているうちに、いつしかその気が薄れ、血尿が止まらず貧血でよろよろし出したのを潮時に入院生活と相成った。何事も自然な成り行きに任せようぐらいな息子は、老化も死も、だれにだって訪れる当たり前な姿だと分かり切っているはずが、病んでいる本人に確たる意思を感じず——と思い込んでいるだけなのかもしれないがと、これを書きながら一瞬不安にもなり——いろいろに迷い、結局医者が奨める放射線治療を癌が膀胱の半分にもなった今さら選択した。<br />
<br />
その責任を感じているのか、そうせずにはいられない、まるで強迫観念に背中を押されるようにして毎日病室を訪ね、互いに耳が遠いこともあって相変わらず大した会話もなく、だんまりと、ほかにすることもないのでしばらく肩や背中をほぐしてやるばかり。気持ちがいいともなんとも言わず、終わると、あんやとと軽く頭を下げる。それだけのことが二週間あまり続いている。<br />
<br />
ベッドの横のポータブルトイレに物憂げに座りこむおやじが窓からの仄かな光に浮かび上がる。さながら考える人のようでもあり、代わりにおもむろにベッドに移り、一枚そっと収める。こんな時の二眼レフは、シャッター音さえほとんど感じずに済み、ミラーアップもないから撮る瞬間もおやじの様子を見ていられる、実にいいカメラだ。痛ましいおやじの中に、彫像のごとき厳然とした力が隠れているような、気がした。<br />
<br />
戦争にしても役所勤めで強いられたという収賄の前科一犯にしても、おやじが生きた日々に果たして思考はあったのか、大きなもの、たとえば権力を疑うということはなかったのか、結局長いものに巻かれただけなのでは、などと無責任に思いめぐらすことがある。そしていつも、このおやじがいて、この息子の人生もあったという一点にたどり着く。お互いのちっぽけな人間としての存在と日々、今もその一コマとして向き合っている。これにまだ迷い多き我が息子がいて、わずか三代ばかりの系図とも言えないちっぽけな繋がりのあれやこれやが何事もなかったかのように、果てしなく、あるいはいつしか途絶えてしまう、だけなんだろうか。<br />
<br />
とにかく不思議にも、片時も休まずおやじのことを思っている。半時ほど過ごす病室でより、離れてこそより深く味わうように感じている。これがもしも、どんな人生でもそれを終えてゆく最後の過程にある何か大事なものの一つだとしたら。父と息子の、どちらが先に逝くのか、決してわかったものでもないけれど。<br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-70917377134362763802018-01-17T13:22:00.003+09:002018-01-17T13:35:19.014+09:00葛藤という関係<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEihZ_mWXQjjZecopDQyeufqKO1EGjZrO-a3EdpuBHbSshJ9o_OD3ga4qeeB2R5aEnsPr0ZLjlpn6dKAiMG4_XYMyFpI78frutzx7sWBUp5E77ymja-eBQLjas8anrL11XRQZVqoLqe6pg/s1600/Enlight173.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="619" data-original-width="825" height="300" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEihZ_mWXQjjZecopDQyeufqKO1EGjZrO-a3EdpuBHbSshJ9o_OD3ga4qeeB2R5aEnsPr0ZLjlpn6dKAiMG4_XYMyFpI78frutzx7sWBUp5E77ymja-eBQLjas8anrL11XRQZVqoLqe6pg/s400/Enlight173.jpg" width="400" /></a></div>
<div class="p1">
Twtterで見かけて思い出し、書棚の奥から引っ張り出した石川達三『生きてゐる兵隊』。四十年も前の学生時代、アパートの近くにあって何度か覗いた小さな古本屋、確かあてがわれただけの読みもしない写真の教本を売り払い、興味本位で代わりに買った。敗戦間もない昭和二十年十二月発行、定價が四圓五十錢、河出書房の自由新書とある。小口や扉には中村姓のスタンプがやや擦れて見え、触れるのを躊躇してしまうほどに黄ばんで所々に染みが浮かび、小冊子ほどの体裁の割にはさもこの家にも古書があるのだと言いたげな顔をしていた。読み始めてどうやらこれが初めての出会いだと分かった。生きている間に気がついてよかったなあと、まさかのタブレットの世の中で、慈しむような気持ちを抱いて、年の瀬の数日、静かに読み進めた。<br />
<br />
著者が中央公論社の特派員として中国大陸に赴いたのは昭和十三(1938)年一月、南京事件に関与したといわれる第十六師団三十三連隊に取材し著したのがこの小説で、同年三月、中央公論に発表されるや、無防備な市民や女性を殺害する描写、兵隊自身の戦争に対する悲観などを含む四分の一が伏字削除されたにもかかわらず、「反軍的内容をもった時局柄不穏当な作品」などとして、掲載誌は即日発売禁止の処分。執筆者、編集者、発行者の三者は新聞紙法第四十一条(安寧秩序紊乱)の容疑で起訴され、著者は禁固四か月、執行猶予三年の判決を受けた。(ウィキペディアより) 開いてすぐの「誌」は、「この作品が原文のまゝで刊行される日があろうとは」ではじまり、発刊に到るまでの経緯と筆禍を蒙った著者の感慨が、自らにもささやくように綴られている。<br />
<br />
「この作品によって刑罰を受けるなどとは豫想もし得なかつた。若氣の至りであつたかも知れない。たゞ私としては、あるがまゝの戦争の姿を知らせることによつて、勝利に傲つた銃後の人々に大きな反省を求めようといふつもりであったが、このやうな私の意圖は葬られた。そして言論の自由を失つた銃後は官民ともに亂れに紊れて遂に國家の悲運を眼のあたりに見ることになつた。今さらながら口惜しい氣もするのである。」<br />
<br />
だが読後に感じたのは、これがあるがままの戦争の姿なんだろうか、というある種の疑問だった。確かに罪もない庶民が虫けらのように残虐に、しかもあっさりと殺され、けれどどこか坦々として描かれているのが不思議な気がして、大きな戸惑いとなったその思いを抱えて読むことになった。末尾の「附記」には、「本稿は實戰の忠實な記録ではなく、作者のかなり自由な創作を試みたものであり‥‥」とある。どこまでが事実で、どこからが創作なのか、小説とはそういうものだと言われれば頷くしかない。この一言で、あるがままの姿を迫真という表層に収めることも可能になり、曖昧だ、とつい感じてしまうことにもなるけれど。そう言えば、抑制を利かせることは小説を書く上の重要なポイントであることを一年ばかり学んだ丸山謙二塾で知ったばかり。<br />
<br />
南京が陥落したのは、著者が南京入りするわずか二週間前の昭和十二(1937)年十二月十二日。ウィキペディアの『生きてゐる兵隊』の項に興味深い記述がある。著者は「入城式におくれて正月私が南京へ着いたとき、街上は死体累々大変なものだった」と自らが見聞した虐殺現場の様子を詳細に語っている一方で、「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。何万の死体の処理はとても二、三週間では終わらないと思います。あの話は私は今も信じてはおりません」とも。今さら仔細の分かるはずもなく、そして物語の中で大虐殺は一文も触れられていない。<br />
<br />
金沢で自主上映された<a href="http://j.people.com.cn/94478/96695/6642806.html">『南京!南京!』</a>という映画を観たのもこの十二月。小説とは大きくちがい、ひとり監督個人に留まらず役者はもちろん様々な役割を担う大勢の人が関わっている。公式サイトを見回して、映画作品をなすための複雑さにたじろぎ、観た感想をここに一言で書き留めることを躊躇ってしまう。<br />
<br />
映画はもちろん演劇や小説など、題材が戦争ともなると今は実体験に基づくものは限られている。『南京!南京!』では、監督と役者が日本兵の葛藤を表すための演技や台詞をせめぎ合うように検討したことが記されている。たとえ架空の人物のものだとしても他者の経験の、それも微妙に揺れる内面を表現する難易度の高さは容易に想像できる。だからこそ、葛藤している姿は描けても、全体何にどんな風に苦悩しているのかという核心となる具象を感じられないもどかしがついて回った。それは『生きてゐる兵隊』でも同様だった。<br />
<br />
七十年の間に平和ボケという形容まで出るほどに戦争を知らない世代ばかりのこれからの時代は、個々の心の、その人にしか分からない、否、本人でさえ掴みきれない葛藤こそが意味を持ち、内なる苦悩から外を見つめることで、不用意に他者を傷つけない社会に僅かでも近づけるのではないか、などと年のはじめに思い立つ。<br />
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マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-7614693409533227702017-10-06T13:36:00.001+09:002017-10-06T15:12:04.692+09:00名月の森<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<br /></div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjeadfaTTQGMS0JK2BylmSbLygREe5iuC36Q55TqOzhmrxchfjR3lq9VGRazAiaGA6S08pIMyxSI9WZXpEan3XOUSP9DRgaxelul2-lbmUtolexfpJr3ySkkGaOL2ixvHZeAmeIYZ-EJA/s1600/171004-5g6773B.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" data-original-height="551" data-original-width="825" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjeadfaTTQGMS0JK2BylmSbLygREe5iuC36Q55TqOzhmrxchfjR3lq9VGRazAiaGA6S08pIMyxSI9WZXpEan3XOUSP9DRgaxelul2-lbmUtolexfpJr3ySkkGaOL2ixvHZeAmeIYZ-EJA/s1600/171004-5g6773B.jpg" /></a></div>
<br />
仲秋の名月に、人はどうしてこうも惹かれるのか。毎年その宵だけは特別な過ごし方をしたくなる。北陸の秋、滅多に見られない十五夜が顔を出すならと、二年ぶりのチブリ尾根へ。名月の森を歩くことにした。<br />
<br />
とは言いつつも、深夜の誰もいない山奥をとぼとぼ歩く己れの姿を想像するだけで、実は今でも単純に怖さが蘇る。ところが実際に歩いて、ヘッドランプの灯を落とし、辺りを見渡し、森閑たる闇に包まれてみると、実に不思議なことに、これを安らぎというのではないか、とも思える感覚に浸っていた。むしろカサコソと落ち葉を踏みながら歩いているその時間に、恐怖感にも似たいささか落ち着かない気分に包まれた。だからだろうか、キョロキョロして気を紛らわせ、まるで見つけられるのを待っていたかのような場に出くわすと、ほっと一息、胸を撫で下ろすことになる。三脚を立て、静止する長時間露光の間、日常を離れた、どこか遠い、ちがう世界に立っていることを、どうやら喜びとして感じていた。<br />
<br />
歩くことに始まる動作、行動の類は、動物が生きるためには不可欠な要素だろうが、動くことが生きること、というわけでは決してない。寂として佇むことができる人間には、野生が獲物を見据え構える姿勢とは随分ちがう、高度な精神性が宿っている。生きることとそれは、かなり重要な繋がりを持ち、生きることの支えにもなり、加えて死にさえも何らかの力を発揮するのではと思える。<br />
<br />
昨晩、病床に伏せっていた旧友がこの世に別れを告げた。久しぶりにこのブログを書く気になったのも、そのせいだろう。<br />
<br />
末期の食道癌と診断され、抗癌剤治療のために入院している間、三度見舞った。久しぶりに顔を合わせるや、「お前の方こそそんなに痩せて大丈夫か」と却って気にかけてくれ、「何だか治るような気がするよ」とまで言って爽やかに笑っていた。二度目の折は、抗癌剤が体を傷つけているのだとかで、打って変わって元気がなく、試食用に持参した酵素玄米を手渡し早々に引き上げた。三度目は、ほんの数日前のこと。ぐったりとして、息苦しそうで、何度も痰を取り、なのに自分を元気づけようとでもするように、あいつらしく冗談もこぼして、これからはもっと頻繁に見舞ってやろうと思い直した矢先だった。<br />
<br />
無声音でしかも含み声だから、この頃遠くなった耳には聞き取れなくて、ろくに会話にならず、それではと足を揉んでやった。気持ちいいのかどうでもいいのか、表情を変えることもなく、それでも、こっちも揉んでくれとばかり足の位置を変えたり、半ば眠るようにして。「お前どこでそんな技、覚えたんだよ」。「足揉みのことか。昔からだよ、家族の足揉み」。今思えば静かで、いい時間だった。<br />
<br />
友が差し出す手を、そうするしかなくて自然に握った。「よくわからんけど、男の手でもいいから握っていたくて」。そうか、悪かったかな、と答えて、ひととき黙ったままで固く結び合った。力を入れたり抜いたり、震えたり、無意識にそうしていたような、それとも、生者には分からない、死を前にして感じているものがあり、静寂に包まれた個室で友は手からそれを伝えようとしていたのか。でもそれは、友のように、何だかよく分からんものなのかもしれない。<br />
<br />
不安、不気味、恐怖などというものは、なるべくなら遠ざけていたい感覚だろうが、それらを超えてでも覗いてみたい世界も確かにある。日常という現場に埋もれるのではなく、たとえ日常であっても、己れの内なる深みを旅するようなひととき、あるいは揺れる心の動きや言葉をつぶさに感じ取る意識。それらがどんなに醜いものでも、吐きそうなほど忌み嫌うものでも、否、だからこそ深い水底へと誘うとば口を持っていそうな、そんな世界が、日常に隣るものとして常に横たわっている。<br />
<br />
友は最後には癌患者だったが、それが自分の全てではないとも言った。あいつは多分、大勢の友が集って笑った店で、もちろん病院ででも、静かに一人旅をしていたにちがいない。これからもきっとしばらく続けるんだろう。<br />
<br />
懐かしい。あいつとは何度も海外を旅した。当時頻繁にあったタウン誌の取材でのことで、何をしても自由、動いたまま、経験したままを撮り、記事にして、まったくもう、スリルがあって楽しくてしようがなかった。という同じ時空を生きた仲だから聞きたかったことがある。今どんな気分なんだよ、って。<br />
<br />
合掌。<br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-52073664451048375802016-12-02T14:51:00.001+09:002016-12-02T15:17:29.604+09:00老後の蓄え<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh8TKGUsBmKH9bcHybq7zgtFCaQMLpD1E0J__-US39EifDQNatQNNPcmOBlaG5HTfOkwz0ArcXUCQIK7q-DGnnX_wudbZRmOTVK9VluoIRcxxDkY5eajeN4_4G9mHP0ElmUZ2wX3qfptA/s1600/Dsh0723b.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh8TKGUsBmKH9bcHybq7zgtFCaQMLpD1E0J__-US39EifDQNatQNNPcmOBlaG5HTfOkwz0ArcXUCQIK7q-DGnnX_wudbZRmOTVK9VluoIRcxxDkY5eajeN4_4G9mHP0ElmUZ2wX3qfptA/s1600/Dsh0723b.jpg" /></a></div>
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人は老いるにつれ蓄えが必要になるもののようで、そのとば口に立つ今、何を蓄えようかと思案したあげく、言葉にした。言葉を蓄えるという意味は自分でもまだよく掴めていないけれど、余生を生きるにはとても重要な気がする。バブルの時期に面白くなった仕事が重なり分不相応に得た金で次々と機材を購入した。それがはじけて後は、使う機会のないがらくたがごろごろ残り、そのほとんどを近所のカメラマンにくれてやった。金も仕事も機材もおまけに甲斐性もない凡夫は、だから言葉を選んだのかもしれない。<br />
<br />
蓄えは先行きの不安を解消するためにあるんだろうが、金がすべてを解決するわけでないことぐらい誰もが知っている。ましてやあの世に持参できるわけでもない。突き詰めれば、生きることと喰うことを同等に見るか、それとも生きる意味とか価値とかをお前ならどこに求めるのかと考える、という生き方のちがいなのではないか。吹けば飛ぶよな人生に果たしてどれほどの価値があるか。それを探りながら老ぼれて行くためには、やはり言葉こそが支えになる。<br />
<br />
言葉を蓄えるために、「小説の書き方」を学ぶ、孤高の作家の、丸山健二塾を選んだ。否、選んでもらえたのはこの凡夫で、ただでさえ先行き不透明な暮らしを顧みず、必要な入塾費になけなしの金を注ぎ込んだ。念のため家人に相談すると、どうせやるんでしょ、と一言返ってきただけだった。なんとも情けない。いつまで青臭いままで夢を見ているのか、言葉なら金を使わなくても操れるではないか、夫婦でありながら互いを尊敬し尊重する人であったか、など次々と複雑な思いが湧き上がり、今も燻り続けている。<br />
<br />
迷いはじめた最後はいつもこうだ。このままやらずに生きてそれで後悔はないのか。束の間の人生を悔いなく生きるためにカメラマンになり、あの時もこの方に、同じような言葉で告げたのだった。好き勝手に生きて死ねばいいと、思われて仕方ない人生に、ほとんど愚痴もこぼさず付き合ってくれた。償いは、どうせ人生など片時の幻でしかないなら閃光のように輝いてみる、ということかと、これもまたおのれの都合で考えている。<br />
<br />
撮るつもりでいる者がなぜここへ来て書くことに精進するのか。少なくともこれから一年は払い込んだ大金を足枷として、しかも不安定な暮らしに一切動ずることなく真剣で臨むつもりだ。書くことは撮ることと同じように、もしかするとそれ以上に見つめることがまず必要になるだろう。対象は外にばかりあるでのはなく、内にもさらには見えない領域にも広がって行くのだろう。その時、たぶん老いさらばえて行くことは何よりの宝になるはずだ。<br />
<br />
不安を減らすために人は金を蓄える。ならば、書く人は不安を材料に書きながらしぶとく生き延びる。だがただ書くのでは所詮は独りよがりで陳腐なものになるのは目に見えている。どうせなら尊敬すべき先達の道に一度は交わり、教えを請い、書くとはどうすることなのかを覗いてみたい。<br />
<br />
書きもしない今から血肉が震え、これこそが生命力なのではと、想像するだけで、この道は歩き甲斐がある。大金をゆうちょ銀行口座間の手数料無料を利用して送金し終え、半ば呆然としてATMを離れた。青味がかった厚い灰色の雲を背景に架かる虹が鮮やかに目に飛び込んできた。前を見て、胸を張って、郵便局の裏の家へと帰った。<br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-12272831749869741642016-05-11T10:40:00.005+09:002016-05-11T14:09:08.361+09:00日常に沁みて<div>
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgxct2cpUY5pyaHehAjrDe0AjW-9Ow473Kbe5d-JDjQjihAHmDFaX-BXF100KhMTc8209xI1OJcX01xPEIkJ-ntQG1d2XGMaDIZAVE4uMvTKnUWsT1nSTgZ7z4cpG9P8Nxv49ZwIe1x0w/s1600/IMG_1358.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgxct2cpUY5pyaHehAjrDe0AjW-9Ow473Kbe5d-JDjQjihAHmDFaX-BXF100KhMTc8209xI1OJcX01xPEIkJ-ntQG1d2XGMaDIZAVE4uMvTKnUWsT1nSTgZ7z4cpG9P8Nxv49ZwIe1x0w/s1600/IMG_1358.jpg" /></a></div>
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感動などでは決してない。共感するにはレベルが高すぎる。なのに体内にまで深く沁み入るように、忘れられない一冊になりそうだ。<a href="http://www.kazetabi.jp/" target="_blank">鬼海弘雄写真集『TOKYO VIEW』</a>、『東京模様』とも名付けられている。写真家と発行者が何度も交渉を重ね高精細印刷技術を駆使したという価値ある仕上がり。それが一枚一枚の写真の力をさらに引き出しているのはまちがいないけれど、写真集の中に、まるでその風景が実在しているかのような錯覚が生まれ、見ている者自身も町をふらふらと彷徨い歩いている印象へとつながる、まことに不思議な一冊だ。<br />
<br />
写真家を目指しながら所蔵している写真集は数えるほどしかない。しかもそうそう何度も開かないときている。ひっくり返るような衝撃を受けた『GENESIS』でさえ同じ扱いだ。『TOKYO VIEW』はなぜ何度も見たくなるんだろう。窓際で見ているときだった。差し込んできたカーテン越しの陽光で写真の陰影が変わった。さらに深みが増したと言っていいかもしれない。それは、歩き続け何十年と撮り続けた写真家の居た時空間に、いまここにあるちっぽけな日常が重なった瞬間でもあった。理由がわかった。慈しむべき日常がここにもあることを、写真集が教えていた。きっと明日もまた開くにちがいない。感動でも共感でもなく、愛おしい日常のために。<br />
<br />
『TOKYO VIEW』には人が登場しない。気配があるだけだ。誰もが撮るかもしれない布団や洗濯物がしばしば捉えられているけれど、多くはこの凡夫なら見過ごしてしまうほどの町の片隅を切り取っている。その中でひときわ印象に残ったものがある。キャプションには「投げられたボール 1975」。階段のある路地に惹かれた写真家がハッセルを構え覗き込むやボールが画面に飛び込んできたんだろうか、傾いた画面がさらに動きを増幅している。<br />
<br />
撮っていると、こういう瞬間との出会いがよくある。鳥や風などがいい具合に画面を構成するように飛び込んでくる。けれど、それを捉えたと感じた経験などほとんどない。ボールの写真はだからすごいと言いたいのではなく、風景を求めて彷徨う写真家を、もしかすると風景のほうで待っていたのではないか、という印象がこの『TOKYO VIEW』にはあると感じるからだ。<br />
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxvTuTj5Pbs5_NXnlI9E32BjgJHNByxcyrn8VEXCK1A2wU1O28ODvcYZm1GRSqWCL_UuZhr2BTNmr5U-DgAiOIzAKJxlJ0VcIvvkVkMVHtCUFwp6ycTa81CsQEYhvFm__DUCo-lZFqyw/s1600/IMG_1375.jpg" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxvTuTj5Pbs5_NXnlI9E32BjgJHNByxcyrn8VEXCK1A2wU1O28ODvcYZm1GRSqWCL_UuZhr2BTNmr5U-DgAiOIzAKJxlJ0VcIvvkVkMVHtCUFwp6ycTa81CsQEYhvFm__DUCo-lZFqyw/s1600/IMG_1375.jpg" /></a></div>
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写真の世界の深さに戸惑うばかりの日々が続いている。偉大な方々の作品にふれる度、その度合いが増して行く。もう撮れないかもしれないと、すでに覚悟まで用意した。ここでも救いは発行者の佐伯剛さんの<a href="http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20160509/1462798169">言葉</a>だった。<br />
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「一般的には、シャッターチャンスを逃さないために常にカメラを持ち歩いているのがいい写真家だと思われているが、鬼海さんは、カメラを持ち歩かない写真家だ。鬼海さんは、写真を撮る時間よりも、物事を見つめている時間と、考えている時間の方が、圧倒的に長い。<br />
自分の中にないものは撮れない。だから、いい写真を撮ろうと思えば、自分を豊かにする努力以外の近道はない。はやりのワークショップや、メーカー主宰の写真教室では、そういう大事なことを教えてくれない。その真理は、写真にかぎらず、どんな物作りにおいても古今東西同じだと思う」。<br />
<br />
鬼海さんと同様に考えることなどできるはずもないけれど、撮れないでいる今、撮らない代わりに、撮るための経験を重ねているんだと自分では感じている。福島の子供たちと過ごす保養キャンプも、能登の家じんのびーとで作り出している田舎暮らしも、そしてこのなんということもない日常も。<br />
<br />
窓際で『TOKYO VIEW』を見ていた翌日は、老いぼれて行くばかりの両親の結婚記念日だった。結婚した翌年にこの息子が生まれたから、63周年になる。今ではすっかり愛機になったローライで記念の一枚を撮った。撮ることで、感謝の気持ちに代えたいと思った。自分勝手と感じるおふくろが実はあまり好きじゃない。おやじも毎日テレビの前に座っているだけ、毎度毎度の病院通いに同伴するのが鬱陶しくなることもある。<br />
<br />
日常を慈しむとはどういうことだろうか。この両親が出会い結婚しなければ、もちろんこの愚息もここに存在せず、こんな駄文を書いていることもない。慈しむべきものは、見えない糸のようなものかもしれないと、ふと思う。<br />
<br />
短いのが気に入って毎日のように読んでいる鷲田清一氏の<a href="http://digital.asahi.com/articles/DA3S12350016.html?rm=150">「折々のことば」</a>の今日はなんとも奇遇だ。<br />
<br />
「家屋はたしかに安全性を保障するもの、嬉(うれ)しいにつけ、悲しいにつけ、いつもかくれ場所(ヨハン・フィッシュアルト)<br />
<br />
家は、人がおびえることなく身をほどき、くつろげる場所。強い信頼で結ばれ、『われわれ』という親密な関係の中に浸れる場所だ。けれども『兄弟は他人のはじまり』と言われるように、それは、深刻な葛藤が生まれ、たがいに他者であるということが至近距離で思い知らされる場所でもある。O・F・ボルノウが『人間と空間』で引いている16世紀ドイツの詩人のことば」。<br />
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慈しむとは、たぶんお気に入りの対象を愛でることを越えている。自分自身を含めたあらゆる存在に向けて、むしろ好ましいと感じられない対象をこそ、己の全体で包み込むような感覚なんだろうか。ほとんど好き嫌いで生きてきたここまでの長い日々を思うと、今撮れなくなっている状況がさもありなんと頷ける。<br />
<br />
写真は見える対象を撮ることしかできないけれど、撮ろうとしているもの、少なくとも感じているものは、たぶん見えないんだろうと薄々感じてきた。『TOKYO VIEW』に出会いわずかこの数日の間に、静かに内で変わりはじめているものが確かにある。どこにでもある日常がここにも当然あり、どこの家族にもありそうな諸々でごったがえし、日々それらに翻弄されている。ただこれからはすこし違う見方、感じ方、考え方ができるかもしれない。雑多な暮らしの表層に惑わされ、このまま死んで行くのではあまりに情けなくないか。写真家を目指す前に、まずは人であれ。それも見えないものを見つめる人であれ。『TOKYO VIEW』がそう囁いている。</div>
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衝撃的な出会いは熱が冷めればすぐにでも忘れ去るけれど、じわじわと日常に影響し続ける静かで沁み入る出会いは生きる力にもなる。そんな出会いが写真にもあるのだと、はじめて知った。</div>
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マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-84478720794397517212016-04-20T06:06:00.001+09:002016-04-20T07:50:04.799+09:00コミュニティ<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh-pMBfiLIZC2RA9Hz4-dPzsJ8GJCzfVYSx79F-LdP8wU22uS4lsMP08m0AcJHPRzZ7i7CeIsySphcfHVV1fMmMXl3HWKgziOyF156OiTwRrDxjD4DMOtbbvqEJqXu2IY2JJt947QSWJg/s1600/jinnobi160419.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh-pMBfiLIZC2RA9Hz4-dPzsJ8GJCzfVYSx79F-LdP8wU22uS4lsMP08m0AcJHPRzZ7i7CeIsySphcfHVV1fMmMXl3HWKgziOyF156OiTwRrDxjD4DMOtbbvqEJqXu2IY2JJt947QSWJg/s1600/jinnobi160419.jpg" /></a></div>
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<span style="font-size: xx-small;">能登の家じんのびーとの田んぼにて</span></div>
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福島の子供たちを応援する<a href="http://www.kazesan.net/" target="_blank">FKキッズ交流キャンプ</a>の新しい展開を目論んではじめた小さな上映会、<a href="https://www.facebook.com/fkcinema/" target="_blank">「FKシネマ」</a>と名づけてこの半年近く20本ほどの作品を上映した。ほとんどいつもお客は数人、ゼロという回も何度もあった。自分が観たいから思いついた場でもあり、人を集める努力をしていないのが最大の原因だろう。いくらネット上で告知しても、個人的なつながり、あるいは人間としての信頼度が足りないということがあるかもしれない。<br />
<br />
ところが春になって共催の声がかかり、どちらも盛会だった。<a href="http://kanaeco.com/" target="_blank">「金沢エコライフくらぶ」</a>と、<a href="http://www.h4.dion.ne.jp/~ftc/" target="_blank">「コミュニティトレード al 」</a>の場と人を借りての上映会を経験し、一人の力の限界を感じている。団体、組織というものに所属するのは好みじゃない。けれど、人は一人では生きて行けないことも十分に理解している。つながり、連携、共同、協同あるいは協働、それらは生きる場であり、生きるための礎にもなるだろう。<br />
<br />
al の前につくコミュニティの意味を考える。地域社会という集団、共同体の中でだれもが生活している。意識せずとも場があり、自ずと所属し、なんらかの恩恵も受けている。視点を変えて、個から地域に貢献する流れを大事にすると、地域じたいはどうなるだろうか。町内会のお世話のほか、さらにそれぞれの得意を活かした関わり方が広がれば、そこで生まれる場の力がまた個に返ってくるかもしれない。<br />
<br />
今回共催した映画は、ファースト・ファッション界の闇を描いた<a href="http://bit.ly/1Xqs7Dn" target="_blank">『ザ・トゥルー・コスト』</a>。al に寄せられた数々の鑑賞後の感想から、世界を見渡すことの意義と、それを生活に反映して生まれる波及効果が想像できる。<br />
<br />
忘れてならないのは、問題がひとりファスト・ファッションの業界だけに留まっていないということ。『ザ・トゥルー・コスト』に限らず、FKシネマで上映した<a href="https://www.cinemo.info/movie_list.html" target="_blank">ドキュメンタリー作品</a>のほぼすべてが世界中の問題をするどく抉り出している。利益最優先はグローバル企業ばかりか世界各地にあふれかえり、苦しむ貧困層を踏みつけ成り立っている。果ては個々の暮らしはどうだろうか。まずは我が身と、だれもがなんの疑問も挟まずに生活を描いている。コミュニティを考えるとは、まだ意識に上らないその疑問に向き合うということでもありそうだ。<br />
<br />
FKキッズが無償でお借りしている<a href="http://www.kazesan.net/pg364.html" target="_blank">能登の家じんのびーと</a>での米作りが、2年目を迎えた。去年はキャンプで野良仕事に集中できず散々な結果に終わった。志向する自然農には作物に任せるという捉え方があり、どうやら放任することと勘違いしていたような嫌いがある。自ずと自らの力で成長する作物に人が関わるとはどうすることなのか。始めたばかりの素人にはわからないことだらけだが、今ひとつ感じているのは、育つ環境をほんのすこし調えてやること。たとえば草刈りはどうやらとても重要だ。稲に限らずどんな作物も、ことに幼いころはたくましい草たちに負けてしまう。もちろん無肥料無農薬、でも地力が乏しいなら米ぬかや油粕は必要なようだ。<br />
<br />
田畑に立つと、ここもまたコミュニティであることを実感できる。半端でも片時地域に居る一人として、さらには身近な自然界の一員として生かされ、はたらいていることだけで生きている実感がわいてくる。痛む腰を労りながら黙々と鍬をふるうとき、この一瞬がコミュニティにどんな貢献をしているかと想像した。人と人、人と自然のつながりが時空を超えてしまうなら、必ずやなんらかの影響を及ぼすにちがいない。大事にしたいことは、ただひとつ、なるべく我欲を捨て去ることだろうか、コミュニティの輪の中では。<br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-34019708890623421652015-10-12T17:53:00.000+09:002015-10-12T18:11:26.954+09:00デコ屋敷<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiegLFcLTqys3jY-KXFN19ThhhWC_42ilbRFifK_BnCZhc3OqHRl0bLOfLZOWdNCm0GVl_6D2aN8oJjk-lkDOigcyRVyQx1O3pvKBoqCiPs8VAYDupkIp6F69xtEs_oOPfG51ismQgUDQ/s1600/151006-5e9573.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiegLFcLTqys3jY-KXFN19ThhhWC_42ilbRFifK_BnCZhc3OqHRl0bLOfLZOWdNCm0GVl_6D2aN8oJjk-lkDOigcyRVyQx1O3pvKBoqCiPs8VAYDupkIp6F69xtEs_oOPfG51ismQgUDQ/s1600/151006-5e9573.jpg" /></a></div>
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三春に行くんだったらデコ屋敷に案内してあげる、と郡山の友人ともこさんに誘われるがままに付いて行った。観光地にはさして興味は湧かなかったけれど、平日のせいか閑散として、村の往時を偲ぶにはうってつけの少し肌寒い日和。来てよかったなあとすぐに感じた。二三軒ある店の中をのぞくといつかどこかで見かけたことのある三春駒や色鮮やかな三春張子などの人形たちがぎっしりと並んでいた。案内文を読めば人形作りの起こりは三百ほども前で、観光化されているとは言えこうして今も脈々と当時のまま受け継がれていることに少なからず感動した。人形を作る集落があったなんて、できることならタイムトラベラーになって昔の様子を覗いてみたい気がした。各店にはつい最近まで看板むすめならぬ看板おばあちゃんがいらしたようで、絵付けをしている写真が飾られていた。<br />
<br />
仕事場を覗くと、頬っ被りをしたおばあちゃんがひょっとこの面に黙々と下地を塗っていた。懐かしいと感じたのはなぜだろうか。老婦が働く姿はいつどこで見ても美しい。何枚か撮らせてもらった。横で紙張りの仕事をしていた女性がいろんな話をしてくれた。おばあちゃんは八十を過ぎて、早朝の畑仕事を済ませたあと毎日四十分ほどかけてこの職場へと歩いてくるそうだ。この土地とよその町とではもしかするとちがう時間が流れているのではないかと思えるほど、なんとも豊かな、ゆるりとした心持ちになった。福島の知らなかった一面に出会い、またひとつ好きになったようだ。<br />
<br />
地球規模で流れる時間を捉えることができたらと、ふと思った。人が生まれ死ぬまでの時間はあまりに短い。けれど、一日なにものかに打ち込む人のそれには長短では計れない別の次元が存在しているのではないか。何十年とつづけてきた手慣れた仕事ぶりは俊敏だが、決して急いでいるわけでなく、むしろ時間が止まっている気さえした。不思議な土地だ、このデコ屋敷。<br />
<br />
二時間ほどもいただろうか。共に過ごしたともこさんとふたりの子どもたちに別れたあと、これからはまた新しい出会いを求めて福島を回ってみたいと思った。放射能汚染に悩まされる子どもたちを応援する保養プログラムが四年目に入り、いま初めて新しい気持ちになっている。生きている時間に、生きている時間だけではない、より広大な世界を覗くような旅をしてみたい、この福島で。<br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-30766218623641341662015-10-09T12:22:00.000+09:002015-10-09T12:26:19.217+09:00福島の日常<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiWsi3oAytH_twvFi2VxhoxkI7xiKMe4dHFiz91WFOSsPpIybk4pC_Tp8S1v0xzVypGXK8U3CR8kdzwOSGDGidd5JgncQogAg8OTxNhrQzVG-7X6syrhBAMINsZ_vxrHHI4f5UH-d-QOg/s1600/151006-5e9555.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiWsi3oAytH_twvFi2VxhoxkI7xiKMe4dHFiz91WFOSsPpIybk4pC_Tp8S1v0xzVypGXK8U3CR8kdzwOSGDGidd5JgncQogAg8OTxNhrQzVG-7X6syrhBAMINsZ_vxrHHI4f5UH-d-QOg/s1600/151006-5e9555.jpg" /></a></div>
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<br />
「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」の同窓会に参加した折、郡山市内の幼稚園で開かれた写真教室の講師をつとめてきました。対象は若いおかあさんたち十数人。事前にお願いした課題の写真をみんなで鑑賞しながら感想や意見も交わしました。テーマは「家族の日常」。どの写真も、我が子を慈しむおかあさんのあったかなまなざしで捉えられていました。放射能汚染さえなければほかのどの町とも変わらない日常のシーンを見ながら、ちょっぴり複雑な気持ちにもなりました。<br />
<br />
折しも昨日、<a href="http://huff.to/1QcoeiY" target="_blank">「福島の子供の甲状腺がん発症率は20〜50倍」</a>という分析が公表されました。あれから4年と半年が過ぎ、福島の日常は昔と変わらないかのように営まれています。地域によっては除染土などを入れた黒い大きな袋が山と積まれる異様な風景が広がっていますが、人の暮らしはたとえ戦争にあっても営まれ、家族はより仲睦まじく生きていくしかありません。<br />
<br />
写真教室で伝えたかったことは、上手になるための技術的なアドバイスばかりではなく、撮る前にあるはずの、「見つめる」という態度でした。当然のように過ぎてゆく日常の風景でもよくよく見つめると、これまであまり意識に上らなかった発見とでも言えるような関係に気づけるかもしれません。大袈裟に言えば、親子の間柄に、人と人という関係を加えられないかと思ったわけです。<br />
<br />
写真に限らず絵画でも俳句でも、その道で表現するためには見つめることは欠かすことのできない大事な準備です。見えるものを相手にしながら、できることなら見えない何かに近づいてみたいのだと思います。<br />
<br />
我が子を愛おしむとは、どうすることなんでしょうか。よその子どもたちにまで目を配り思い遣るときそこに慈しみのカケラでもあるなら、見えないけれど大事な関係がすでに生まれているのかもしれません。子どもたちの心や未来は、見えないものの究極の大事です。そんな思いを抱いて撮ることができたら。おかあさんだからこそ、撮れるような気がします。<br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-29674112550563106202015-10-08T12:24:00.001+09:002015-10-08T13:47:53.571+09:00福島の気持ち<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgK09KYz1VxVAU3uzCvsNADYbTAlpVttUJ5RmQfUIP0MDqNLEHlCoSO4o5wOKLGiFt7DTf5LyN6G-FykackDghMtv1ax2ppvkseSBlrKF2Vc-BykeZ_Pr6C_zcxsq1LKUm6tvuA3RwRGQ/s1600/151004-5e9471.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgK09KYz1VxVAU3uzCvsNADYbTAlpVttUJ5RmQfUIP0MDqNLEHlCoSO4o5wOKLGiFt7DTf5LyN6G-FykackDghMtv1ax2ppvkseSBlrKF2Vc-BykeZ_Pr6C_zcxsq1LKUm6tvuA3RwRGQ/s1600/151004-5e9471.jpg" /></a></div>
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こんな日本にならなければ福島にはたぶん出かけることもなく人生を終えたにちがいない。ということは、福島の人に出会うこともなく、福島の人の思いを想像することもない。だれひとり望むはずのない原発事故が起こり、ネットの情報で知るかぎりではおぞましいばかりの危機から奇跡的に逃れることができたという。それでいま、福島にも少しずつ日常が戻っている。<br />
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ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプがご縁で出会ったけんちゃんとやすこさんご夫妻に二本松の提灯祭に連れて行ってもらった。高さ十数メートルの山車七基がロータリーに並んでいた。大勢の見物客であふれ身動きさえできない。写真を始めたころ何度も能登の祭に出かけた思い出が蘇ってきた。あの頃の祭は、祭をする地元の人たちのための、神と遊ぶ祭だった。今では熱気を感じても観光イベント化した雰囲気がどうにも気にかかる。福島は、同じイベントなのになぜか大きなちがいを感じた。みんな心底楽しんでいる、それが表情から十分に感じられた。<br />
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災難を乗り越えた人の、あるいは難題を抱えながらも前を向いている人の瞳はきらきらと輝いている。そばにいると心の中で脈打っているいきいきとした力が伝わってくる。現状は決して楽観できるものではなく、むしろ不安に苛まれる日が多いかもしれない。人生は哀しみでできているとさえ時に感じるけれど、生や暮らしの中には叫びや踊りがあり、歓喜もある。神々しいほどの笑顔だってある。「負けてなんかいられねえ」。そんな声にならない声を抱きかかえている日常がここにある。<br />
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福島の人たちの気持ちを想像しながら何枚も撮った。関心の的は祭ではなく、祭を生きている人たちだということを、撮りながら確かに感じていた。「生きているってすばらしい」。ここでなければどこぞの安っぽいフレーズなのに、それが実感として迫り、目の前で踊っていた。<br />
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<br />マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-50443845241420511792015-09-04T18:03:00.001+09:002015-09-04T18:03:10.783+09:00多恵ちゃん<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj9jBR28eDSLJNvLXkaoUGP2a5WPphUmCu663iX7je1qShP9izdfStpr5xthhPZ9l0XuwMKvuUuvjuA-7rQiDg9K6NRsgO4Zpcchqtaf_WuixxrDA8GcRupWk-YpDadZaGPRR3SX9rVMA/s1600/taeko.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj9jBR28eDSLJNvLXkaoUGP2a5WPphUmCu663iX7je1qShP9izdfStpr5xthhPZ9l0XuwMKvuUuvjuA-7rQiDg9K6NRsgO4Zpcchqtaf_WuixxrDA8GcRupWk-YpDadZaGPRR3SX9rVMA/s1600/taeko.jpg" /></a></div>
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<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> 「わぁ、京都、行きた〜い」と、多恵ちゃんがいの一番に返事を返してくれました。一月末、京都シネマという小さな映画館で開かれた上映会でのぼくの出品作を観たいと、声をあげてくれたわけです。作品には『家族の時間』というタイトルをつけました。去年の夏、夫を喪った娘は母ひとり子ひとりになってしまい哀しみに暮れる毎日を送っていましたが、その様子を傍に寄り添う父や祖父としてというより、一写真家のつもりで撮り続けたものでした。いつか思春期を迎え悩み多い日々を過ごすかもしれない孫娘が、それに立ち向かって行くための支えとなるような写真として、今ある幼い素の姿を記録しておきたいという思いがありました。そしてそれらを上映する機会に恵まれ、多恵ちゃんに歌を添えてほしいと願い出ました。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"><br /></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> 上映と言っても、映画ではなく動かない白黒の重い雰囲気の写真です。写真を始めて三十年も経つというのに、今頃になって自分にとっての本当の写真を撮りたいと思うようになりました。試作を観た多恵ちゃんは、治療の後遺症から満足に動かせなくなった指でギターを弾いたりしながら、どんな音楽を添えようかといろいろ考えてくれましたが、内容が内容だけに明確なイメージがわかなかったようです。最後には、わたしを選んでくれたんだから今のわたしのまんまでその場にいようと、決心されたようです。それは、こんな形になって表されました。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"><br /></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> 『家族の時間』は、病院の</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";">ICU</span><span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;">の風景からはじまり、婿が眠る棺を囲んだ娘たちなど、生々しいシーンがつづきます。多恵ちゃんは、おもむろに鈴を取り出し、ひとふり、ふたふりと奏でました。定員が六十人の館内は立ち見が出るほどでしたが、だれもが息をつめてひっそりと静まり返っていました。今思い出すと、まるで神に仕える巫女のような多恵ちゃんでした。鈴の音だけが、波打つように人から人へ、壁を這うように広がりこだましました。この作品にはこれしかないと思えるスタートでした。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> しばらく沈黙がつづいたあと、多恵ちゃんは歌い出しました。それは歌というより、歌い手の存在からわきあがる音の静かな波のようでした。数分おきにフェードインとフェードアウトを繰り返しながら変化していく写真に合わせ、スクリーンの登場人物に、会場の誰もに、語りかけてくれたのです。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> タンタタタン、タタタ、タ〜ン、タンタタタン、タタタタ・・・</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> おかあさん・・・おかあさん・・・、タンタタタン、タタタタン、</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
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<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> 沈黙ほど饒舌なものはないと、静かな山を歩きながらときどき感じることがありますが、そのときの多恵ちゃんの、言葉少なな歌、というより、声、というより、心そのものという音楽は、おそらく聞いているすべての人の中に饒舌な波となって届けられたのではと思います。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> タンタタタン、タタタ、タ〜ン、</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> おかあさん・・・おかあさん、ほら、こっちだよ、おかあさん・・・</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> 上映がはじまったとたん、じつはプライベートな娘たちの姿を公開してしまったことを悔やんでいましたが、多恵ちゃんのささやくように、語りかけるように歌う、おかあさんの響きが、この場を知る由もない娘にも届いているような気がしました。癒しという言葉は好みではありませんが、多恵ちゃんはその存在をかけて世界を癒していたのではと、いまになって感じています。決して大げさでなく。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"><br /></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> なぜ、重い病にある多恵ちゃんに、京都まで来てほしいと願い出てしまったのか自分でもよくわかりませんが、多恵ちゃんしかいないと思ったのはたしかでした。行きたい、と声をあげてくれたのを幸いに、それじゃおいでよ、と言葉はとても軽いものでしたが、気持ちは割と重く、自分で言うのもなんですが深いものでした。写真家を目指すぼくの写真と、新しい音楽に出合いはじめた多恵ちゃんの、この世での最初で最後のコラボレーションにしようとまで話し合いました。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"><br /></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> それはなにも多恵ちゃんがこの世からいなくなってしまうことを前提とした話ではなく、ふたりの命をかけてもいいような、この世でたった一度の表現の場にしよう、という意味をこめたつもりでした。こうして書くと、命をかけるなどという大げさな言葉を使う資格がぼくにはまだあるように思えませんが、多恵ちゃんを思い出すたび、表現とは命をかけて表してこそ表現になるのだと思わないではいられません。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"><br /></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> 多恵ちゃんと出合ったのは、長野県の女神山で開かれたアート・オブ・リビング・セミナーという集いででした。そのセミナーのサポートスタッフだったぼくはチラシを作り仲間内にも告知していましたが、それを見た多恵ちゃんは、「きれい、こんな美しいチラシのセミナーなら」と、この時もいの一番に参加を申し込んでくれました。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"><br /></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3"; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century;"> 今でも思い出します。会場で待ち受けていたぼくは、ああこれが多恵ちゃんだとすぐにわかり、「マサヒロです」と自己紹介し、「多恵子です」と微笑みながら答えてくれました。それからわずかに二年ばかりのおつきあいでしたが、どうやら人と人はふれあう長さだけではないようです。あのセミナーの最後に、多恵ちゃんはすっくと立って歌ってくれました。歌詞もメロディーももう覚えていませんが、死ぬまで忘れることができなくなった多恵ちゃんの存在は、これからの表現の力強い糧になってくれると思います。</span><span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><span style="mso-tab-count: 1;"> </span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><span style="mso-tab-count: 1;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
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<div class="MsoNormal">
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<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><span style="mso-tab-count: 1;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
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<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><span style="mso-tab-count: 1;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><span style="mso-tab-count: 1;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
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<div class="MsoNormal">
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<div class="MsoNormal">
<span lang="EN-US" style="mso-fareast-font-family: "ヒラギノ明朝 Pro W3";"><span style="mso-tab-count: 1;"> </span><o:p></o:p></span></div>
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マスノマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10834465749539650775noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8693813785696133300.post-70649425331224065122015-05-12T05:03:00.002+09:002015-05-12T05:03:27.637+09:00じんのびーと日記 #003<span style="background-color: white; color: #141823; font-family: helvetica, arial, 'lucida grande', 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 19.3199996948242px;"><br /></span>
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<span style="background-color: white; color: #141823; font-family: helvetica, arial, 'lucida grande', 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 19.3199996948242px;"> 連休明けのじんのびーとに残っているのは、玄関前のタケノコを器にした生花。コウキやカリン、シュンタロウらが掘ってきたもので、タケノコ掘りというより、背くらべできそうなほどの大物でした。つまりは、タケノコ折り(笑)。根元に近い節を器にしたようです。誰もいなくなった大きな家にいると、残された物たちの存在が目に入る度しんみりしてしまいます。子どもたちの黄色い声、おとうさんやおかあさんの寛いだ笑顔、楽しかった食卓、ますやんと呼んでくれるひとりひとりの声まで鮮やかに蘇ります。キャンプが終わってもこんな気持ちになったことはなかったのに、不思議ですねえ、これが家というものでしょうか。もう何年も前からじんのびーとに住んでいるような錯覚を覚えます。</span><br />
<span style="background-color: white; color: #141823; font-family: helvetica, arial, 'lucida grande', 'hiragino kaku gothic pro', meiryo, 'ms pgothic', sans-serif; font-size: 14px; line-height: 19.3199996948242px;"><br /></span>
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