2014年11月16日



 この世でもっとも美しい瞳を持った友がいる。澄んだ湖の水底まで見透かせるような透明度を持っている。覗き込むと、濁った己の瞳が映り込んでハッとさせられる。年に一二度会いに行く程度で果たしてゆいちゃんは友と思ってくれているだろうか。これまで何度か撮る機会があり、その都度撮り続けたいと心の隅で感じていた、ゆいちゃんの瞳。ただ己が浄化されたいだけなのか、撮りたい気持ちの裏にあるものを掴めないまま、出会って十年以上も過ぎてしまった。けれど今、ようやく気づいた。友だから撮りたいのだ。

 先日井津建郎さんはじめ数人の写真家が集う場に参加する栄に浴し、写真家の何たるかを自分なりに感じることができた。写真を撮り写真で表現するとはどういうことだろうか。写真とは見える対象に向き合いながら見えない世界にまで手を伸ばそうとする、いわば旅そのものだ。我が身に置き換え考えてみた。何も遠くへと足を運ぶばかりが旅ではないのだと、今ならよくわかる。友の澄んだ魅惑の瞳に旅をするのだ。ゆいちゃんに会いに行こう。会いたい者が自ら動かなければ会えないゆいちゃんに。










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