カメラマンのかたわら一年半はたらいた職場の様子を撮影することになり、この数日、数カ所の事業所をまわってメンバーのみなさんの仕事風景を間近で見つめた。就労継続支援事業のなんたるかも知らず飛び込んだ世界は、障害とともにある利用者が働く場で、スタッフはその指導などサポートをする立場、ところが手慣れたベテランもいれば、この場に来るまでに豊かな経験を積んだ人も多く、年齢も資質も様々、支援するなどとお世辞にも言えないこの凡夫は教わることの方がずっと多い日々だった。
撮影の最後は、水耕栽培施設。すっかり仲良くなったメンバーたちと二時間あまり過ごし、いつものように丁寧にそして常に一所懸命取り組む姿を角度を変えてたくさん撮った。これは仕事というより、彼らに贈ることができる最後のプレゼントのつもりで、だからささやきかけるように撮りながら、心の交流をも楽しんだ。
葉野菜が育つ大きな温室はほどよい温度と湿度に調整され、空気も雰囲気もとても穏やか、小さな種を蒔いたり、生育に合わせて植え替えしたり、大地に代わる発泡スチールを洗ったり、どの作業でも微笑みを浮かべているように静かな姿を見ていると、仕事というより、たぶん意識などせずとも植物と和やかに交流しているんだろうと思えた。
普段はホテルのバスルームを清掃する施設外就労のスタッフとして出ることが多く、施設内で内職的な仕事に従事するみなさんとはほとんど一緒にいる機会がなかった、という関係でも、そこはカメラが本領発揮、穏やかな場の気も手伝って、愛くるしい表情や仕草を何枚もとらえることができた。あっちゃんがこんなにも可愛いまなざしで微笑むなんて、せいや君がこんなにまで透明なまなざしで見つめていたなんて、ファインダー越しで初めて気づくようなそれぞれの表情に出会い、本当にみんなのことが大好きなんだなあと信じられた。
この就労継続支援のA型事業所は一般就労への橋渡しが一つの大きな役割で、利用者のみなさんはそれぞれの状況や調子を見ながら経験を積み、事業所は当然のごとく効率や収益を重要視している。パートタイマーのスタッフには、ことにずっとフリーで気ままにやってきな者には、どうにも息のつまる場面が多く、何かを改善する力もなく立場でもないくせに憤りだけ抱えこんでしまう好ましくない心持ちになってしまったものの、笑ってほんのちょっぴりでも会話し、時には肩を揉んであげたり、調子はどう?と小声でささやきあったり、そんなふうにみんなと居ることはほかのどこにもない幸せを感じるひとときだったんだと、今になって痛いほどに感じている。
蒔いた小さな種が芽吹くときに湧きあがるなんとも言えない幸せな気分と、これはとてもよく似ている。人の心の中にはきっといろんな種が宿っている。ともに過ごす場が調い心と心を交わすとき、その種は微笑みとなり歌や踊りにもなり、目に見える形で外へと表れる。これこそ人にある、優れた生き物としての、表現というものではないのか。水耕栽培施設から戻っての休憩時間、微笑みを交わし合う間柄になれたなのか、あっちゃんがゆらゆら揺れて天にも昇るように踊って、また微笑んでいる。年甲斐もなくなんだかその大きな体に抱きつきたい気分になった。
ありがたいなあ、みんなが教えてくれた、この幸せ気分、ほんの少しでも真似して天使みたいに微笑むじじいになっていけるだろうか。
場はとても大事だ。働く場であろうとどこであろうと、種を育むことを最大の使命とする。
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