明日九十二歳を迎えるはずだった親父の遺影の前で過ごす短いひとときが、この頃もっとも大事にしている日課になった。生きている間はほとんど関心のなかった父という存在が日毎に重みを増してゆくようで、死者との語らいというほどではないけれど、きっとこの先も戸惑い多き愚息を導いてくれるような気がして、根拠もなく大いなる安心感に包まれている。
結局一月半の入院生活の果てに、肺炎を患い、あっけなく天へと召されて逝かれた。膀胱癌のために施した放射線治療など受けずに家でのんびり暮らしていた方が、親父にとってどんなにか快適だったろうにと悔やまれる。あれこれ整えた介護生活の準備が全て不要になり、いくら毎日病室を訪ね見舞ったとしても、家族として何もできなかったことを省み、それが人間には普通にあることなんだろうと思ってしまう哀しみを抱き続けてもいる。
ことさら意識していたわけでもなかったが、最後の時を過ごす父と母が二人並んだ姿を何度か撮った。死というものがほんのすぐそこにあり、なのに死別したあとのことなどちっとも想像できないまま、ファインダーを覗き込み、この二人の間に生まれ育てられたことをたまゆら思い出し、今こうして身の回りのすべてがゆっくりと終わってゆくのかと、心でため息をつきつき、それでいて軽口ばかり叩く自分がなんとも情けなかった。
亡くなる十日ほど前、二人の手を重ねて撮らせてもらった。どちらもシワとシミだらけの手が歩んだささやかな歴史を表しているとしたら、きっとお袋はこの写真をもっとも気に入ってくれるにちがいない。年齢の割りは驚くほど骨が丈夫だったんですねと、火葬場の係が漏らした言葉で、よろよろしながらも最後までしゃんとしていた姿が鮮やかに蘇った。それをわずか十九で嫁いだお袋が、やがては文句ばかりこぼしては細やかに支えてきたということになる。
ねんねがねんねを抱いとるわいと茶化されたという母の背中のその息子も、早耳順。どこにでもある親子でも、ここだけにしかないことが、今はよく感じられる。同居する家族の誰か一人が亡くなってはじめて感じているこの味わいを言葉にしてみたい気もするが、どうにも格好ばかりつけることになりそうで、今はやめておく。けれど、いつかちゃんと言葉にして残しておきたい。
先日、夫を亡くして八年になる娘がメールで送ってきた言葉をまた思い出す。「おとうさん、人生訓を垂れるのもうやめて。私は私の経験を頼りに生きていく。」何を偉そうにとも思ったが、自分の頭と言葉で考え行動する人になってほしいものだと心がけて見守った子供たちが、しかとそうなっているわけで、むしろまことに喜ぶべきことのようだ。
言葉で表すことを大事に、けれど、極寒の中でゆっくりと醸造する酒のように何度でも身の内で練り直し、天と地のこのあわいを想像し、今はそこで静かにたゆたっていたい。とても身近になった親父とともに、人生訓などでない、もっとも個人的な作業として。ありがたいことに、好きじゃなかったお袋が、なんだかどうにも愛おしくなってきた。
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