こんな日本にならなければ福島にはたぶん出かけることもなく人生を終えたにちがいない。ということは、福島の人に出会うこともなく、福島の人の思いを想像することもない。だれひとり望むはずのない原発事故が起こり、ネットの情報で知るかぎりではおぞましいばかりの危機から奇跡的に逃れることができたという。それでいま、福島にも少しずつ日常が戻っている。
ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプがご縁で出会ったけんちゃんとやすこさんご夫妻に二本松の提灯祭に連れて行ってもらった。高さ十数メートルの山車七基がロータリーに並んでいた。大勢の見物客であふれ身動きさえできない。写真を始めたころ何度も能登の祭に出かけた思い出が蘇ってきた。あの頃の祭は、祭をする地元の人たちのための、神と遊ぶ祭だった。今では熱気を感じても観光イベント化した雰囲気がどうにも気にかかる。福島は、同じイベントなのになぜか大きなちがいを感じた。みんな心底楽しんでいる、それが表情から十分に感じられた。
災難を乗り越えた人の、あるいは難題を抱えながらも前を向いている人の瞳はきらきらと輝いている。そばにいると心の中で脈打っているいきいきとした力が伝わってくる。現状は決して楽観できるものではなく、むしろ不安に苛まれる日が多いかもしれない。人生は哀しみでできているとさえ時に感じるけれど、生や暮らしの中には叫びや踊りがあり、歓喜もある。神々しいほどの笑顔だってある。「負けてなんかいられねえ」。そんな声にならない声を抱きかかえている日常がここにある。
福島の人たちの気持ちを想像しながら何枚も撮った。関心の的は祭ではなく、祭を生きている人たちだということを、撮りながら確かに感じていた。「生きているってすばらしい」。ここでなければどこぞの安っぽいフレーズなのに、それが実感として迫り、目の前で踊っていた。
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