2013年11月17日

座るひととき





 日曜の今日はチェックしておいた催しがいくつか重なっていたが、結局そのどれにも行かなかった。政治の動きなどにますます嫌気が差すこの頃だからぱぁっと気晴らしに出かければいいものを、けれど片時のイベントなどにはさして興味もわかないし、講演など聞いてもその後に行動しないならなんの意味があるか、などとぐだぐだしながら朝刊をめくるうちに大乗寺の座禅会が目に留った。三十代の頃だからかれこれ二十年あまりも前になる。日曜座禅会だけでなく修行僧にまぎれこんで日々の早朝の祈りのひとときに加わったこともある。なぜ人は座るのだろうか。瞑想のひとときに何か求めるものがあるのだろうか。三十人あまりの人が、しかも半分以上は若者たちが占め、互いに言葉を交わすこともなく二時間ほどを共にした。

 大乗寺は、永平寺三代目住職の徹通義介禅師が開いた曹洞宗の古刹。国指定の重文でもある。境内に一歩踏み込むだけでいきなり場の気が変わるような気がする。重厚な山門にはいつも圧倒されるが、個人的に気に入っているのは、法堂の側面のどこか古風な家の軒下を思わせる庶民的な雰囲気だ。あったかな昼下がりなど椅子に座ってする読書の時間が好きだった。

 何人もの人と座るひとときは、家の小部屋のひとりの静座とはやはり大きなちがいがある。ピンと張りつめた冷たい空気、合図の鐘の音が波打つように近づいてくる不思議な感覚、目的はそれぞれだろうにどこか通じるものがある参禅者。ところでなぜ座る気になったものか、座り出してもわからないままだった。浮かんでは消えて行く雑念というものもほとんど感じなかった。まったく面白みのない人間になってしまったかのように、ただぼーっと座っているばかりだった。

 座禅後の法話は、肌黒い修行僧だった。スリランカから来日してまだ二カ月だという。たどたどしい日本語ながら、両国の仏教のちがいなどを話してくださった。中でも興味深かったのは、スリランカは大戦後、日本に賠償金を請求しなかったという話だった。その時のリーダーが世界に向けて宣言した言葉は、「憎しみは憎しみによって止まず、ただ愛によってのみ止む」。なんということか。国を荒らされ、大勢の犠牲者を出しただろうに、憎しみの過去を愛に変えてしまった人々がいた。どんな状況だったものか想像すらかなわないけれど、この言葉が持つ力なら凡夫にもずしんと堪えた。座禅ではなく、この話に出会いに来たのかもしれない。無為に過ぎて行く日常、徐々に精気が失せて行くのを感じる日々だったが、なんだか救われた気がした。愛とはほど遠い人間だとしても、憎しみや妬みや恨みなど、ひとつでもふたつでも脱ぎ捨てることができるのかもしれない。それらは己が頑固に所有するものではないようだ。この世に飛び交う雑念がたまたまこの身に宿っているにすぎないのかもしれない。











2013年11月6日

鴻の里 #016 棚田の跡





 鴻さんたちが裏の田んぼと呼んでいる棚田は遠く日本海を見渡して広がり、輝
く陽光が届かない日でもため息が出るばかりに見事だ。「気持ちいいですねえ、
こんなところで田んぼをしていたなんて」と、だれもが口にしそうなことしか言
えなかった。「能登にはこんな風景あちこちにありますよ」。「え?そうなんで
すか」と驚いた。これまで何度も能登半島をまわりながらいったい何を見てきた
のか、愚鈍な自分にあきれかえるが、こうして私有地でもある能登の奥深くに分
け入るなど思えばほとんどなかったことだ。ふるさとの棚田の風景を復活させる
夢を抱いて取り組み始めた鴻さんたちの田舎暮らしは、端で考えているほど甘く
はないようだ。ゆったりしているようで、日々することは絶えない。便利な町か
ら離れた自然に寄り添う生活は、暮らすことがそのまま生きることでもある。案
外忙しいのだ。まだ手を加えるゆとりのない裏の田んぼを、豊彦さんは言葉もな
く見つめていた。そしてその田んぼを、まさかこのド素人に任せてくれるとは…
いつかはやってみたいと願っていた田んぼにはちがいないけれど、気持ちのいい
この土地で、しかも自由にしていいと、まるで夢のような話だった。農機具も苗
もすべてがそろっている。足りないのは、人手だけ。いや、田んぼ一枚鍬一本で
できるかもしれない。などと迷ったあげく、お引き受けすることにした。まずは
鴻の里の非常勤の一員として、半農半写真生活が動き出す。素人らしく「鴻の里
同好会」として仲間作りも兼ねながら。










2013年11月5日

奇跡のむらの物語


 


 友人が紹介してくれた『奇跡のむらの物語』を読んだ。奇跡などという大仰な言葉を冠した題名は好みじゃなかったが、読み進むうちにやはりこの物語は奇跡だろうと思った。副題は「1000人の子どもが限界集落を救う!」。人口が二千人に満たない長野県泰阜村が舞台だった。その寒村に千人もの子どもたちがキャンプに訪れる。村や村人と、NPOグリーンウッドのスタッフらが恊働し、キャンプばかりか山村留学、自然学校などを展開し、教育を柱に据えて村と村人の意識を見事に蘇らせた。

 この本の著者の講演を聞いた友人は、会場でマスノの顔を思い浮かべたのだと言う。福島の子どもたちを招いた保養キャンプをこれで一年あまり仲間たちと継続して開いているからだが、ほかにも同様のプログラムを開いている団体はいくつもあるわけで、その中でなぜマスノかと考えた。友人には、この本人にさえ見えない心の内が透けて見えたのかもしれない。読後に感じているのは、この世界がこれからやってみたいと描いているものかも知れない、ということだった。

 高齢者ばかりが残り限界集落と言われる辺境の村に住む人たちの思いとはどんなものだろうか。都会生活の視点から見た姿が人間社会の理想に思えた時代はいまだにつづいているんだろうか。中央志向の人間社会こそそろそろ限界に差し掛かっているような気がしないでもない。寒村を訪れた子どもたちが、村人には当たり前過ぎる風景や暮らしの知恵に感動の声を上げた。村人は、忘れ去っていた村の宝物に改めて気づきはじめた。こんな村には未来はないと我が子を都会へと押しやってきた過去を省みた末、受け継いで来た伝統を今改めて都会の子どもたちへと伝え始めている。言葉にするとなんとも味気ないけれど、そこに生まれただろう数々のドラマを想像しながら、世代を越えた交流があってこそ健全と言える人間社会の舞台は、都会よりむしろ辺境の地こそが相応しいだろうと思える。生きる力とは、暮らしの中から生まれてくるものだ。

 「ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ」と、輪島を舞台にした「鴻の里」と、本の内容にあるような舞台が今目の前にある。読みながらそのことをずっと感じていた。原発事故と放射能問題から子どもたちを守り応援することと、限界集落にも近い鴻の里での野良仕事や自然生活と、どんな形になるのか今はまだなにひとつわからないが、この両者が連携してさらに磨きをかけた物語に発展しないものだろうか。夢を夢で終わらせない行動力が不可欠ではあるけれど、余生を過ごすにはあまりある意義を感じてしまう。

 けれど、事は言うほど簡単じゃない。実際、泰阜村の物語は今から二十五年もさかのぼって始まる。外から入ってきた若者の情熱と、苦労を厭わない日々の積み重ねと、支え合う仲間。さらには過酷な山村の暮らしを生き抜いてきた人々の知恵と誇り、崇高な思想を持ち強力なリーダーシップを発揮する村長ら行政との連携。必要不可欠な存在が力を合わせてこそ実現した。

 泰阜村の松島村長はあの “平成の大合併" の折、「我々が守るのは村ではない。どんな体制で仕事をしようが、地域のことは住民が決める自己決定権を手放さないことだ」と言い、合併反対を貫いたそうだ。国策のエネルギー政策にからむ原発問題がいい例だ。国の力に押し潰されることで生かされてきた地方自治体の無力さを思うと、泰阜村の人々の気概こそが生きて行く上でもっとも大切に守らなければならないものだとわかる。何もない村のすべてのさりげないものが、実は決して失ってはならない財産だった。

 今はまだ、何も動いてはいない。ただ歩んでみたい道がぼんやりとでも見えてきたように、小さな芽が顔をのぞかせている気がする。










鴻の里 #015 鴻式自然農





 自然農という農法がある。川口由一さんというお百姓が提唱実践している。鴻
さんたちも奈良にある川口さんの塾に出かけ学んできたそうだ。まだお会いした
ことはないが、ひとときでも鴻の里で過ごすからにはとこの初心者も川口さんの
本を取り寄せていくらか読んでいる。その川口さんには「自然農という決まった
一つの方法があるわけじゃない。それぞれのやり方を見つけていけばいい」とい
うような印象深いひと言がある。参考にしようとわざわざ読んでいるのに、すっ
かり真似をするなと言っている。環境に合わせたそれぞれの最前を模索しろとい
うことだろう。なかなかに骨の折れる仕事だが、まさに試行錯誤の実践あるのみ
実に心地いいアドバイスだ。鴻さんたちは今年十枚の田んぼで米を作った。面白
いのは、そのどれもが少しずつちがう表情をしていることだ。慣行農法然として
割とすっきり整っている一枚があれば、草原か荒れ地と見間違えるほど暴れん坊
の田んぼもある。すべて耕されていない。言うなれば、ぶっきらぼうに植えられ
た。たとえばもっともユニークだと感じる田んぼは棚田の最下段にあり、一面を
覆っていたススキを苅り払ったあと、内に格子状に溝をめぐらし、田植えは棒切
れで空けた穴に苗をはめ込むという感じだった。手伝いながら、これが本当に実
るんだろうかと秋の姿が楽しみだった。掲載の写真が、その田んぼの一画。繁茂
するミゾソバと稲穂が絡み合い、競い合って成長した痕跡が残っていた。さらに
イノシシが侵入した形跡まであり、なんともはや、鴻式自然農の前途は多難なが
らすこぶる逞しい。豊彦さんは言う、「この美しい棚田の風景を蘇らせたい」。
その取り組みがいよいよ形になって見えてきた。












2013年11月3日

愚者の幸せ





 この世に、命に代えても守りたい存在がある。ありがたき幸せ。










鴻の里 #014 笑顔





 いい顔とは笑顔のことではけっしてないと思うけれど、鴻豊彦さんの笑顔だけ
はいい顔だとそれに出会う度につくづく思う。輪島の生家に越してくる前は金沢
に住み、構造計算を生業としてフリーで忙しい毎日を送っていたそうだ。今もそ
の仕事と並行したいわば兼業農家ということになる。「こっちに住むようになっ
て痩せましたよ、すっかり健康になってしまって」とまた笑った。金は回るだろ
うが時間に追われた町の生活と比べ、里山のリズムは時に止まっているような気
さえするほどゆったり流れている。仕事量はほどほどで、だから息をつくひとと
きが確かに何度となくある。時間を自らの領分で管理できることは、思えばとて
も幸せなこと。土の上で働き、空を見上げて汗を拭く。片時の手伝いに過ぎない
者もたったそれだけのことに満足している。人間もまた自然のリズムで生かされ
ている証のひとつだろう。「田んぼをするようになって、ひとつ大きく変わった
ことがあるんですよ」。一年をサイクルとした過程のひとつひとつに向き合い、
丁寧に取り組む経験と意識が構造計算の仕事にも好影響を及ぼしているのだとい
う。「これまでは量をこなすやり方で、今は質を高めている実感があるというか」
同い年のフリーランスの立場として実によくわかる感覚だ。もはや生きることを
急ぐ必要はないのだ。目的地は、息づいて生きている今、まさに生まれた此の土
地だったのだろう。豊彦さんの笑顔は、時に田んぼの草や虫を連想させる。自然
農はそれらを敵としないからだろうか。環境に溶け込みこそすれ、何者とも争う
必要がないのだ。










 

2013年11月2日

鴻の里 #013 家系




 あてがわれた奥座敷に入ると、ご先祖を描いた床の間の掛け物がまず目に飛び込んできた。その姿に見習い居住まいをただす。声に出さずともひと言ばかりごあいさつ。鴻家十二代の主だ。当主豊彦さんの四代前の方になる。農事造林ともに勤勉で殖産の功があったと添えられている。代々伝わる家系などどこか遠い世界の話に感じていたが、こうして残されているご先祖の姿を目にすると、だれにも家系というものが確かにあるのだと思いいたる。今というこの見えるばかりの状況に目を奪われているわけには行かない。たとえば鴻さんたちは家屋敷や田畑ばかりでなく、同じ系統の血を受け継いでいる。これまで血統のことなど考えたこともなかったが、顔や姿形、性格、あるいは人間というものに対する思いや生き方などまでが、なんらかの脈絡をもって引き継がれているのかも知れない。むしろそう思う方が、この土地に滞在している間のことだけだとしても、母屋のさりげない空間から不思議な魅力が立ち上り、思わず身が引き締まるのを覚えた。見守られているのだろうか、それとも見抜かれているのか、人としての今。