母が逝き、友がまた逝き、この四ヶ月ほどの日々に頭から離れない思いは、この世での別れと、別れる以前にふれあったさまざまなな思い出と、そしてそこからようやく気づけたのは、残った者がどれだけか残っているその時間にできることは、ただただ祈ることではないのかと。古希を過ぎてこれからますます老いが深まる者にとってはもはやそうとしか思えないものの、けれど祈るとはどうすることなのか、それをまず了解していないのがいただけず‥‥‥、
何度も思い出すのでひっぱり出してきた三十年あまりも前のインドの写真、ガンジスの大河に祈りを捧げる人々の風景にさして深くも考えず、これがインドか、などと出会う風景や人々にひたすら感動しながらレンズを向けていました。それが今頃になってはじめて身近なものとして、まるで祈るその気持ちがわかるとでもいうように‥‥‥、だからたぶん自分でも祈りたいのかもしれません。
祈るとは、願いではなく(もちろん願ってもかまわないんでしょうが、)言い換えるとすれば、感謝、の一言のように感じています。憧れていた遊行期にはなおさら、もうほとんど感謝しか残されていないのがよくわかります。
だれに、なにを感謝しているのか、そんな些細なことにはあまりこだわらなくてもいいんです。この世に生まれ落ちて、気がつけば人間だった、数々の出会い、その中に人生を左右するほどの衝撃的なものが二つ三つ、それらすべてが今につながり、そうしてまだまだいろいろあったはずなのに、過ぎ去ってみれば激流のようになんと短い日々だったことでしょうか。それでもこうして、平凡な人生にも感謝だけは残ってくれた、そんなところかもしれません。
この2月27日の夜に旅立った友の名は、福井幹。音楽家、本人は宇宙で一番の天才ミュージシャンと声も高らかに宣言し、そして実際そのようにしてあっけらかんと生き抜いてしまいました。よほど気に入ってくれたのか、出会ったころに撮ることになった写真をその後もずっとプロフィールとして使ってくれました。撮影したあの日あの時が、お互いに若かった心身が再び呼び覚まされるように、鮮やかによみがえってきます。
勝山は平泉寺の杜、朝の空気が澄み渡り、突然差し込んだ木漏れ日がなんとも清しいスポットライトとなって、その横笛吹きを浮かび上がらせました。あれはもしかするとこの世に降り立った神の現れだったのではと、三十年後の今になっても覚めない夢を見ているように思い出されます。
そんな幹は、この迷える友をいつも褒めちぎり励まし続けてくれました。自然の声に耳を傾け、マサヒロにしか見えない瞬間を撮る天才カメラマンとかなんとか、つい最近も、いい加減それを受け入れさい、と遺言のように言葉を届けてくれました。幹といると、とにかく身も心も透明になり、考えるのではなく感じる、感じられることをひたすら楽しむ、それも内なるものとともに‥‥‥、やっぱり幹はどうやら宇宙的な存在だったのかもしれません。
宇宙的な、と言うなら、まあ、意識できるか否かは別として、どんな存在もこの宇宙の一員であることには違いなく、幹はそれをはっきりと自覚し生きていた、と言えそうです。
がんというこの病を発症して一年半、幹も自身の病や体調のことばかりか、ご家族とのことなども振り返るようにして聞かせてくれました。肺を病みながら医療を離れてのこの五年ほどの幹の体験談は、まさに創造主に委ねきった宇宙人そのもので、いつしかそのほんの一部でも真似して生きるマサヒロになってみたいと思うようになりました。
そして宇宙は愛で出来ているのだと、幹が伝えたかったのはその一点だったということを、生きている限り生まれ変わる我が細胞のひとつひとつでしっかりと今受け止めています。イノチは愛から生まれ、愛へと還る、それを見事に実践した幹はまさに道友でした。(そう言えば、なぜいつもイノチというカタカナを使っていたのか聞くのを忘れていました。)
ありがたいなぁ。この病、おかげちゃんと呼んで和んでいるつもりのがんのおかげで、幹という愛、母という愛をも感じられます。吾もまた宇宙人かぁ。幹、やっと受け入れられたようだよ。ありがとう、宇宙の友。
さてと、残されたこの日常を愛で満たすには、凡夫は微笑んで祈るしかありません。だから祈りたいんでしょうか。やがて還るその日がもしも今日だとしても、なるべくなら微笑んで。そう言えば、ほとんど表情に出さなかった母も内に秘めた魂は微笑んでいたんでしょうか、その様子が想われて仕方がありません。
祈り、なんと美しく気高き、人の営みでしょうか。
何度も何度も繰り返してきた人としてのこの世の生で、今ようやくこんな気持ちになれているのだとしたら、それこそが有り難く、ただひたすらに感謝をこめて‥‥‥、